マンションに長く安心して住み続けるためには、定期的なメンテナンスと、20~30年に一度の大規模修繕工事が欠かせません。しかしその一方で、修繕の発注をめぐっては、専門知識を持たない管理組合が情報格差の中で不利な立場に置かれるという現実があります。
ここ数年、公正取引委員会による立入検査や、施工会社社員が修繕委員を装って不正に関与する事例など、全国でトラブルが相次いでいます。善意の理事たちが談合や不当契約の被害者になる——そんな“静かな危機”が今、全国の分譲マンションで広がっているのです。
この状況を変えるため、横浜市と横浜市住宅供給公社(以下、公社)は2025年10月16日に記者発表を行い、新たな制度を打ち出しました。それが、業者選定を公的機関が代行する「大規模修繕工事 入札代行サービス」。
目的はシンプルです。
「透明性と公平性を、制度そのものに埋め込むこと。」
大規模修繕をめぐる“静かな危機”
国土交通省は2017年以降、設計コンサルタントや施工業者の不適切な関与について複数の注意喚起通知を発出してきました。背景にあるのは、管理組合と専門業者との間に横たわる「知識格差」と「情報の非対称性」です。
たとえば、見積条件や工事仕様を業者側が実質的に決めてしまうケースや、理事会メンバーの一部が特定業者の意向を汲んで発注を誘導するケースが後を絶ちません。2023年以降は、公正取引委員会による立入検査も相次ぎ、不当な業者選定・談合疑惑の是正が国全体の課題となりました。
特に大規模修繕は金額規模が大きく、工事費が数千万円から数億円に及ぶことも珍しくありません。にもかかわらず、発注プロセスの多くが「人の関係性や慣例」で進む現状があり、透明性の欠如がトラブルの温床となっていました。
こうした状況を受けて、横浜市と横浜市住宅供給公社は、全国に先駆けて業者選定だけを第三者が担う入札制度の構築を決断したのです。
「第三者選定」という新発想:公社が担う入札プロセス
大規模修繕の発注工程を公的機関が一部代行する——。この仕組みは、従来の「民間コンサル主導モデル」から一線を画す、新しい枠組みです。
特に、最も不正リスクが高いとされる施工業者の選定プロセスを第三者が担う点に、大きな意義があります。
リスクの高いプロセス③の”施工業者選定”を分離
これまでの修繕プロセスは、①調査 → ②設計 → ③施工業者選定 → ④工事監理。
多くのケースで同一コンサルタントが①〜④を一括で担っていました。
公社はその中から特に不正リスクが高い「③業者選定」を切り離し、公的入札システムを使って代行します。
この「第三者選定モデル」により、コンサルタントや業者間の癒着を断ち、発注者(管理組合)が公正な条件で業者を選べる仕組みが生まれました。同時に、業界構造に風穴を開ける試みでもあります。
条件付一般競争入札で透明性を担保
入札方式は条件付一般競争入札。予定価格は非公表、最低制限価格も原則設定されません。
参加資格は横浜市の「有資格者名簿」に基づき、工種・格付・実績・所在地などを総合判断。
入札希望者の情報は一切非開示とし、全業者が同じ条件・同じ設計図書で入札します。
「仕様差がない=価格差が純粋な競争」という、公正なルールが徹底されています。
| 観点 | 従来(民間主導一括) | 横浜モデル(第三者選定) |
|---|---|---|
| 参加枠の設定 | 指名・推薦に依存しやすい | 公告+参加資格を公開 |
| 予定価格 | 開示されがち/推測される | 非公表 |
| 最低制限価格 | 設定される場合あり | 原則なし(条件で設定可) |
| 応募状況の扱い | 関係者が把握しがち | 落札まで非開示 |
| 落札の決まり方 | 価格+その他の裁量 | 最低価格=落札候補 |
| 監視・記録 | 組合内運用中心 | 公社が公告〜開札を記録・顛末書化 |
※制度の特徴より筆者独自作成
品質はどう担保されるのか
FAQでは「安価な業者で品質が落ちないか?」という懸念に対し、
「同一設計による入札のため仕様差はなく、工事監理者の監督体制が品質を確保する」と明記。
つまり、設計段階の精度と監理者の専門性が品質担保のカギであり、公社方式ではこの前提を利用条件として定めています。
管理組合が知っておくべき利用条件と手続き
この入札代行サービスは、誰でも利用できるわけではありません。対象は明確に「横浜市内の分譲マンションの管理組合」と定められています。そのうえで、公社が業務を適正に進めるための一定の前提条件や手続きの流れが詳細に設けられています。
ここでは、サービスを利用する際に押さえておくべきポイントを整理します。
利用対象と主な条件
利用できるのは横浜市内の分譲マンション管理組合で、次の条件を満たす必要があります。
- 設計作業(設計図書・仕様書等)が完了している
- 設計コンサルと施工選定契約を締結していない
- 総会で利用が承認されている(想定費用含む)
- 工事監理体制が確保されている
- 電子データでのやり取りが可能
- 現地調査で複数業者の立入りを許可できる
つまり、「設計が終わり、これから施工業者を選ぶ」段階で利用できるサービスです。
また、発注者は理事長であること、管理組合の総会議決があることも条件に含まれます。
手続きの流れ:相談から契約まで
- 相談・契約:公社に申込し、委託契約を締結。
- 公告・質疑:公社HPで公告。質疑は公社が取りまとめ、理事会承認後に全社同時回答。
- 現地調査・入札:現地調査は原則1回のみ。参加業者は順次調査後、指定日に即日開札。
- 結果通知・総会承認:結果は入札日から4か月間有効。総会で発注を承認し、契約を締結。
FAQにもある通り、落札=契約ではありません。
管理組合が最終的に議決しない限り、契約は成立しない仕組みです。
利用料とコスト感:透明なルールの安心感
公社は「利用料変動表」を公開しており、工事規模に応じて料率が細かく設定されています。
落札額が大きいほど料率が下がる合理的な設計です。
| 落札価格(税抜) | 利用料率(税抜) |
|---|---|
| 0円~100,000,000円 | 1.00% |
| 100,000,001円~150,000,000円 | 0.90% |
| 150,000,001円~200,000,000円 | 0.80% |
| 200,000,001円~300,000,000円 | 0.75% |
| 300,000,001円~400,000,000円 | 0.70% |
| 400,000,001円~500,000,000円 | 0.65% |
| 500,000,001円~600,000,000円 | 0.60% |
| 600,000,001円~700,000,000円 | 0.55% |
| 700,000,001円~800,000,000円 | 0.50% |
| 800,000,001円~900,000,000円 | 0.45% |
| 900,000,001円~上限なし | 0.40% |
※横浜市住宅供給公社 大規模修繕工事入札代行サービス 利用料変動表より転記
※一般相場との比較
大規模修繕の「業者選定」コンサル費は、工事費の5〜10%とされる例が多い一方、公社の入札代行は0.4〜1%。約10分の1水準で、コスト面でも管理組合の負担軽減が期待できます。
利用料は税抜落札価格に該当率を乗じ、1万円未満切り捨て+消費税加算で算出。また、入札不調(予定価格超過や参加ゼロなど)となった場合、利用料は発生しません。
この透明なルール自体が、制度への信頼を支えています。
制度の限界と、あえて手を出さない領域
入札代行サービスは、業者選定の透明化を目的に設計された制度ですが、公社がすべての工程を担うわけではありません。その役割は「入札運営」という一部分に限定され、設計・契約・監理といった専門領域にはあえて踏み込まない仕組みとなっています。
ここでは、公社が担う範囲と、あえて手を出さない領域を整理してみましょう。
公社が担うのは“入札運営”のみ
本サービスの範囲はあくまで入札運営。FAQ・入札者向け了解事項にも明記のとおり、設計精査・監理・瑕疵対応・契約交渉・品質トラブルは対象外です。
つまり、公社は「発注の入口を公正に整える」立場に徹しています。
接触禁止・再入札ルールも明確
入札期間中および入札後の発注者との接触は禁止。
違反時は業者が失格・指名停止の対象となります。
入札が予定価格を上回った場合は再入札を行い、2回目も不成立なら不調扱い――というルールも、すべて公開資料に基づいています。
落札後のリスクと管理組合の責任
落札後でも総会で否決される可能性があること、またその場合でも業者や公社への費用請求はできないことも明記されています。公的制度であっても、最終判断と責任はあくまで管理組合にある点を理解しておく必要があります。
横浜市が描く「管理組合支援ネットワーク」
今回の入札代行サービスは、単なる一つの制度にとどまりません。横浜市はこれを、市全体で進めるマンション管理組合支援の中核的な仕組みとして位置づけています。
公社による入札代行を軸に、行政・公社・民間が連携して情報提供や専門家派遣を行う——。
そうした「横浜モデル」とも言える総合的な支援ネットワークが、いま動き始めています。
入札代行は総合支援の一部
横浜市はこの入札代行を、単独制度ではなく「マンション総合支援」の一環と位置づけています。記者発表では、以下の施策も併せて紹介されています。
- ヨコハマ分譲マンションポータルでの事例紹介と注意喚起
- 民間連携(共創フロント)による情報発信強化
- マンション・アドバイザー派遣制度による専門家支援
- 登録制度を活用したセミナー・補助情報の配信
また、FAQでは「公社が設計業務を受託することも可能」とされ、コンサル探しに悩む管理組合への実務支援も想定されています。
公社主導では全国初の試み
「全国的にも先進的」との表現は公式にはありませんが、住宅供給公社が主体的に入札運営を代行する例は全国的にも稀有。地方住宅供給公社法に基づく公的団体が入札市場に関与すること自体が、新しい管理支援モデルといえます。
透明性が築く新しい発注モデル:横浜市が示した管理組合の未来
横浜市住宅供給公社が打ち出した入札代行サービスは、従来の“人の信頼関係”に依存していた発注プロセスを、制度としての透明性で置き換えた点に大きな意義があります。これまでの仕組みでは難しかった「公平・中立・明朗な選定基準」が、具体的なルールとして形になりました。
その特徴を改めて整理してみましょう。
- 条件付一般競争入札で談合・癒着を抑止
- 予定価格非公表・最低制限価格なし・応募状況非開示
- 利用料0.4~1%、不調時無料の明朗な費用体系
- 結果は4か月有効、総会承認で契約成立
- 設計・監理・契約トラブルは対象外ながら、制度全体でリスク縮減
横浜市住宅供給公社の「入札代行サービス」は、管理組合を“守る仕組み”として制度化された公的インフラです。透明性を制度として設計することで、発注の信頼を可視化し、マンションの資産価値を長期的に支えます。
これからのマンション管理は、「人の経験」から「制度の信頼」へ。横浜が示す新たな方向性は、全国の管理組合にとっても確かなヒントとなるでしょう。
詳細・申込先:横浜市住宅供給公社 入札代行サービス公式ページ
問い合わせ:nyusatsu-daiko@yokohama-kousya.or.jp / TEL 045-451-7780





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