URまちとくらしのミュージアムで昭和の団地を体験【是非行きたい】

マンション管理

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JR赤羽駅から徒歩10分程度の高台に、昭和30年代にURの前身である日本住宅公団が建てた

「赤羽台団地」

がありました。

現在は建て替えを行い、URのヌーヴェル赤羽台となっています。

そして、団地の敷地内に

「URまちとくらしのミュージアム」

という、昔の団地を紹介する施設があります。

1か月ぐらい前に予約し、とある日にミュージアムに行ってきました。

昔ながらの団地を再現したこのミュージアムは完全予約制です。

また、約2時間弱ぐらいの内容ですが、ガイドさんが全て解説してくれます。

非常に興味深い内容だったので、今回紹介します。

URまちとくらしのミュージアムで昭和の団地を体験【是非行きたい】


※正面は登録有形文化財のスターハウス43号棟

何となく検索していた時に、このURまちとくらしのミュージアムのことを知りました。

そして、12月初旬に訪問しました。

オープンしたのは2023年9月15日で、まだそんなに日が経っていない時でした。

元々、2022年3月まで八王子に集合住宅歴史館という施設がありました。

それが赤羽台に移ってきたということです。

展示は昭和の初期、最初のものは

・1927年に建てられた同潤会アパートメント
・蓮根団地(1957年)
・建築家・前川國男が設計した晴海団地高層アパート(1957年)

など、団地の黎明期のころの住戸内部がそのままに再現されています。

写真可、さらにはSNS可のところのみを撮ってきたので、紹介します。

同潤会アパートメント(代官山にあった室内を再現)

まず、最初に紹介されたのが、同潤会アパートメントでした。

同潤会アパートは、大正の終わりから昭和の初めにかけて、東京に13か所、横浜に2か所建てられた、当時では珍しい鉄筋コンクリートの集合住宅です。

これより前の先行例は、世界遺産となった軍艦島の集合住宅です。

代官山の同潤会アパートは、代官山駅のすぐそばでした。

現在は代官山アドレスという複合施設が建っているところです。

地権者が多く、当初の再開発事業は難航したとのことです。

ちなみに、こちらは独身者用の住戸です。

写真はメゾネットタイプのベッドがあり、その下は物置です。

畳の部屋ですが、当時は畳ではなく、ゴザでした。

そして、その下はコルクが敷いてあったとのことでした。

これは、いまでもマンションの住戸にある避難用のはしごです。

台東区にあった上野下アパートメントが2013年に解体されて、現在は同潤会アパートは1棟も残っていません。

そのため、こちらのミュージアムにあるだけかと思われます。

非常に貴重なものでした。

これ以外にも、玄関や当時あった食堂の一部などもありました。

最初の紹介で見学に集中したため、撮り忘れてしまいました。

蓮根団地(東京都板橋区)

1957年に東京都板橋区に建てられた、郊外型の蓮根団地を再現したものです。

丁度この時期にはテレビが出だしたころです。

まだどこの家にもあるという訳ではなかったのかもしれません。

奥の流しは、洗うだけの用途だったようです。

現在のように料理をする用途はまた別であったとのことでした。

手前の机は食卓ですが、料理を作る机としても活用されていたとのことです。

そのため、使いやすいように、棚とテーブルの高さが揃っているとのことでした。

省力化できるような工夫がなされています。

この頃から衛生的な観点から食べる所と寝る所を分離させた考え方が生まれます。

西山夘三(うぞう)氏が提唱した「食寝分離」という概念です。

団地にnDKという考え方が生まれたということです。

浴槽は立って入るのか、中腰なのかという感じなのでしょうか。

限られた室内にコンパクトに収まっている感じがありました。

こちらは廊下側という感じでしょうか。

こちらはベランダ側になります。

たまたま調べていると、同じURのホームページに蓮根団地の建設当時の建物外観の紹介がありました。

これをみるとベランダの反対側には通路があったのでしょうか。

晴海団地高層アパート(晴海高層アパート)

このミュージアムでの見どころは、個人的には

同潤会アパートとともに、今回紹介する

晴海団地高層アパート(晴海高層アパート)

かと思います。

色々と画期的で、見どころ満載の10階建ての高層マンションです。

エレベーターが各階停止ではない!

今では考えられないですが、エレベーターは各階に停車するのではなく、

1,3,6,9階のみに停車

するということです。

設計した前川國男は、かの有名建築家、ル・コルビュジエの日本人一番弟子でした。

同時期に師匠のコルビュジエが設計した集合住宅で世界遺産になっている

ユニテ・ダビタシオンを強く意識したもの

であるといわれています。

共用部分の随所にこだわりが!

当初は各戸に電話がまだ敷かれていませんでした。

そのため、廊下に電話があって、電話交換室もあったとのことです。

自宅にはブザーがありました。

そのブザーがなると、電話に出てくださいという合図だったとのこと。

一般電話の加入に伴って、昭和40年代前半には廃止された様です。

天井は麻で貼られているということでした。

また、4区分されており、畳も4区分されているということでした。

寸法に捉われない方法で畳が使われていたとのことです。

これは、前川國男の遊び心が住戸の中にも活かされていたといいます。

さらに、柱と天井の間の欄間が、ガラスになっています。

昼間には部屋の中に光が入るようにするためで、ここにも工夫が施されています。

表札ですが、階によって扉の色が分かれていたということです。

最初に紹介した案内図によると、5-7階は黄色の扉でしたが、こちらには赤の扉が備え付けてありました。

室内にも当時のこだわりが随所に

前章の蓮根団地では、キッチンは流しのみで、料理をする場所はなかったとのことでした。

しかしこちらは流しの横に料理ができるスペースも用意されていました。

古風な桐たんすとともに、鏡台のセットです。

あと、和室の梁に白いワイヤーが通されていました。

ワイヤーが熱で伸びるとベルが鳴るという、火災報知機の仕組みが入っていたとも教えて頂きました。

こちらの家具セットも当時使用されていたものだそうです。

椅子が4脚あるということで、ファミリー向けの部屋です。

先ほどの615号室とは違った部屋になります。

エレベーターが止まる部屋は、横長の通路があり、そこから階段で上下する階は、通路の分だけ部屋が大きくなっています。

すなわち、ファミリーでも住むことが出来るぐらいの広さとのことです。

通路のある部屋と比べて9㎡(3×3m程度)広いとのことでした。

そしてこちらは玄関です。

玄関から土足のままでベランダにいける工夫がされているとのことでした。

2F住戸は階段にも工夫が

こちらが上下にいく階段ですが、上が通路側、下が部屋側です。

また、2階の方がわざわざ3階までエレベーターを乗り、1階分降りるというのは不都合だということになります。

そのため、2階のみ、1階から直接上ることができる階段が竣工直前に設置されたそうです。

これは実際に2階へ行くためのらせん階段だそうです。

2階住戸専用の階段が所々についていたようで興味深かったです。

阿佐ヶ谷テラスハウス(阿佐ヶ谷住宅)

室内展示の最後に紹介するのが、1958年に建てられた阿佐ヶ谷のテラスハウスです。

こちらも前川國男の建築事務所日本住宅公団とともに設計には入っています。

テラスハウスの特徴

テラスハウスとは、連棟式長屋であり、境界壁を共有する住宅が並んでいる集合住宅のことです。

日本住宅公団が整備していますが、分譲住宅でした。

分譲住宅のため、管理組合として阿佐ヶ谷住宅管理組合が存在したということです。

管理組合が敷地の管理を行い、建物は各棟が管理を、さらには住民の自治活動は阿佐ヶ谷住宅親睦会が自治体機能を担っていたようです。

室内の特徴は?

テラスハウスは2階建て構造で、3DKと3Dの2タイプがあったといいます。

3DKは居室3室にダイニングとキッチンが
3Dは居室3室に独立したダイニングを持つ

という間取りだそうです。

冒頭の模型写真にもありますが、手前側の住宅棟の屋根がアンバランスになっています。

長い屋根は1/2の勾配、すなわち45度になっています。

軒下が丁度建物の真ん中に来るという感じでしょうか。

2階へ上がる階段は、玄関からの吹抜けと一体となっています。

これは前川國男の自邸をはじめ、公共建築でも見られる形態とのことです。

前川國男の公共建築としては、神奈川県にはいくつかあります。

・横浜市中区役所(1983年)
・横浜市西区にある神奈川県立青少年センター(1962年)
・西区にある神奈川県立図書館・音楽堂(1954年、県立図書館は2022年4月から前川國男館に名称変更)

などがあります。

確かに横浜市中区役所でも、ロビーを入って1Fから2Fへは吹抜けの階段を上がっていく形で作られています。

また、この時代はドアの所には必ず牛乳瓶入れが付いていたといいます。

昭和の中頃は家庭でも学校でも、牛乳をたくさん飲んでいた時期でもありました。

スターハウスとラボ41(登録有形文化財)

ミュージアムの外にも古いアパートがいくつかありました。

スターハウス3棟とラボ41は登録有形文化財に指定されています。

こちらはスターハウスで、1962年に建てられたものだそうです。

3方向に広がるY形をしています。

しかもこのスターハウスですが、全ての部屋が角部屋となっています。

当時の写真が残っていますが、横長の団地の中に所々にY字型のアパートがあるのが、なんともお洒落です。

こちらはラボ41です。

入り口がふさがれており、入ることはできませんが、中を見ることが出来ました。

モデルルームのように、奇麗になっていました。

通常は公開していないそうです。

定期的に公開するのであれば、スターハウスとともに是非見てみたいと思いました。

URが運営するURまちとくらしのミュージアムは、昭和初期~中期の当時の生活環境が分かる、非常に見応えがある施設でした。

しかもこの施設は2時間近くの丁寧な解説もついていて無料です。

非常に魅力的なミュージアムでした。

そこでは、まだアパートやマンションが一般的ではなかった日本において、昭和の著名建築家が試行錯誤をしながら作り上げてきたことも感じ取れます。

2時間弱では細かな所を見切れないぐらい充実していました。

本音をいうともう少し同潤会アパートと、晴海高層アパートをじっくり見たい所でした。

繰り返し行ってもいいぐらい見学のし甲斐はあると思います。

 

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