横浜に存在するビンテージビルやマンションで気になった建物を紹介する第2回目です。
今回は伊勢佐木町にある不二家横浜センター店
さらに、
近隣の関内の太田町にある弁三ビルを紹介します。
※2024年3月時点で不二家横浜センター店はまだ解体されていません
不二家横浜センター店(伊勢佐木モール)
まず初めに紹介するのが、横浜市にある戦前ビルの代表格、
不二家横浜センター店です。
不二家横浜センター店の歴史
普通に歩いていると、流してしまうようなビルです。
伊勢佐木モールの中のビルの一つとしての位置づけになってしまっています。
それは、伊勢佐木モールの中に不二家が溶け込んでいるためです。
普通の商店の並び、さらにビルの一つの感覚になってしまうからでしょう。
しかしながら、実際は戦前から戦後にかけて活躍した有名なモダニズム建築家、
アントニン・レーモンドが設計し1938年に竣工したものです。
伊勢佐木モールの不二家は、戦後米軍に接収されていた時期もありました。
そして、かつては宴会場やビアホールも併設していたとか。
また、戦前においてこのガラス製の壁面は、伊勢佐木モールを行き交う人たちにどのように映ったのでしょうか。
斜め向かいにあった
横浜松坂屋(現カトレヤプラザ伊勢佐木)
は残念ながら取り壊されてしまいました。
一方で今尚現役の正面にある横浜松坂屋西館(現JRAエクセル伊勢佐木)
とともに、伊勢佐木モールの顔だったのでしょうね。
ほかのレーモンドの作品は?
また、レーモンドが設計したものとして残るのは、不二家横浜センター店以外にも複数残っています。
中でも、
山手のエリスマン邸(1926年)
日本大通りのKRCビルディング(旧マークスビル/1973年)
があり、それぞれ今でも活躍しています。
追記:惜しまれるレーモンド建築 横浜・伊勢佐木の「不二家」解体へ 築80年超で建て替え
その後、伊勢佐木の不二家は23年8月20日に閉店
東京新聞では建替されるとのことで記事が出ていました。
非常に残念ですが、二階以上は老朽化で使用されていなかったとのことです。
不二家横浜センター店のその後(2024年6月19日)
伊勢佐木モール名物の不二家もとうとう解体か…という感じで、足場の準備が
進んでいました。
残念ですが、老朽化には逆らえないところです。
不二家横浜センター店のさらにその後(2024年9月5日)
少し横が見えていましたが、最上階の天井がなくなっていたので、徐々に解体されていく形でしょうか。
弁三ビル(弁天通り)
関内駅から関内桜通りを海側に歩いていくと、弁天通りと交差するファミリーマートが入っているビルがあります。
弁三ビルといって、
1953年に三渓園を作ったことで有名な原三渓(原富三郎)の次男である原良三郎
が県公社共同ビル第一号として建てたものです。
弁天ビルの特徴は?
ここもファイミリーマートや商店が1Fに入居しており、軽く流してしまいそうです。
そして、2F以上は住戸になっているいわゆる
下駄履きマンション
と言われるものです。
また、弁天通りに向かって、横長に広がっているのは、
当時横浜市中区では数多く見られた防火帯建築と言われる手法
で建てられていました。
壁面を含め丁寧に修繕をしていることから、この年代に建てられた建物とは思えないよい保存状態となっています。
逆に、修繕やメンテナンスを丁寧にすることにより、長持ちさせることができる好例と言ってもいいでしょう。
そのため、1Fに商店も複数入っており、
関内地区のビンテージマンションの代表的存在
と言ってもいいでしょう。
防火帯建築として今なお健在
防火帯建築は、まだ横浜市中区には比較的残っています。
山手方面の長者町1丁目から日ノ出町駅方面に掛けての9丁目界隈、
横浜駅根岸道路沿いには近年まで多く見られました。
しかしながら、最近の再開発もあって、残念ながらほとんど新しいマンションに建替えられてしまいました。
1950年代~60年代にかけてのものは、耐震性においても脆弱です。
管理が良い状態のものは何とか残すことが出来るのでしょう。
そうでないものは建替えざるを得ないと考えられます。
前回確認した
野毛の都橋商店街
弁三ビル
ともども、レトロな港横浜らしい建築物です。
ファンも多いので、末永く残っていって欲しいと願っています。
100年続くマンションを考える
マンションとタイプは違いますが、建設から
不二家は約90年、弁三ビルも約70年
経っています。
それぞれ旧耐震の時代に建ったものなので、今とは耐震性がずいぶん違います。
耐震性がしっかりしてきているマンションは保存、メンテナンス次第で長年持たせることは十分可能でしょう。
往年の建築物事例を見ながら、今後のマンションについても考えて行きます。
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