横浜に存在するビンテージビルやマンション②伊勢佐木不二家は解体へ

マンション管理

横浜に存在するビンテージビルやマンションで気になった建物を紹介する第2回目、今回は伊勢佐木町にある不二家横浜センター店と、関内の太田町にある弁三ビルを紹介します。

不二家横浜センター店(伊勢佐木モール)

まず初めに紹介するのが、横浜市にある戦前ビルの代表格、不二家横浜センター店です。

普通に歩いていると、流してしまうような、伊勢佐木モールの中のビルの一つとしての位置づけにしかならなそうです。

伊勢佐木モールの中に不二家が溶け込んでいるので、普通の商店の並び、さらにビルの一つの感覚になってしまうからでしょう。

しかしながら、実際は戦前から戦後にかけて活躍した有名なモダニズム建築家、アントニン・レーモンドが設計し1938年に竣工したものです。

伊勢佐木モールの不二家は、戦後米軍に接収されていた時期もあり、かつては宴会場やビアホールも併設していたとか。

戦前においてこのガラス製の壁面は、伊勢佐木モールを行く人たちにとってどのように映ったのでしょうか。

斜め向かいにあった横浜松坂屋(現カトレヤプラザ伊勢佐木)は残念ながら取り壊されてしまいました。

一方で今尚現役の、正面にある横浜松坂屋西館(現JRAエクセル伊勢佐木)とともに、伊勢佐木モールの顔だったのでしょうね。

また、レーモンドが設計したものとして残るのは、不二家横浜センター店以外にも複数残っています。

中でも、山手のエリスマン邸(1926年)や日本大通りのKRCビルディング(旧マークスビル/1973年)があり、それぞれ今でも活躍しています。

追記:惜しまれるレーモンド建築 横浜・伊勢佐木の「不二家」解体へ 築80年超で建て替え

その後、伊勢佐木の不二家は23年8月20日に閉店し、東京新聞では建替されるとのことで記事が出ていました。

非常に残念ですが、二階以上は老朽化で使用されていなかったとのことです。

弁三ビル(弁天通り)

関内駅から関内桜通りを海側に歩いていくと、弁天通りと交差するファミリーマートが入っているビルがあります。

弁三ビルといって、1953年に三渓園を作ったことで有名な原三渓(原富三郎)の次男である原良三郎が、県公社共同ビル第一号として建てたものです。

ここもファイミリーマートや商店が1Fに入っているため、軽く流してしまいそうな建物ですが、2F以上は住戸になっているいわゆる下駄履きマンションと言われるものです。

弁天通りに向かって、横長に広がっているのは、当時横浜市中区では数多く見られた防火帯建築と言われる手法で建てられていました。

壁面を含め丁寧に修繕をしていることから、この年代に建てられた建物とは思えないよい保存状態となっています。

逆に、丁寧に管理が行き届いた状態として、修繕やメンテナンスを丁寧にすることにより、長持ちさせることができる好例と言ってもいいでしょう。

そのため、1Fに商店も複数入っており、この関内地区のビンテージマンションの代表的存在と言っていいと思います。

防火帯建築は、まだ横浜市中区には比較的残っていますが、山手方面の長者町1丁目から日ノ出町駅方面に掛けての9丁目界隈、横浜駅根岸道路沿いには近年まで多く見られました。

しかしながら、最近の再開発もあって、残念ながらほとんど新しいマンションに建替えられてしまいました。

1950年代~60年代にかけてのものは、耐震性においても脆弱であり、管理が良い状態のものは何とか残すことが出来るのでしょうが、そうでないものは建替えざるを得ないのでしょう。

前回確認した野毛の都橋商店街や今回の弁三ビルともども、レトロな港横浜らしい建築物です。

ファンも多いので、末永く残っていって欲しいと願っています。

100年続くマンションを考える

マンションとタイプは違いますが、建設から不二家は約90年、弁三ビルも約70年経っています。

それぞれ旧耐震の時代に建ったものなので、今とは耐震性がずいぶん違います。

耐震性がしっかりしてきているマンションは保存、メンテナンス次第で長年持たせることは十分可能でしょう。

往年の建築物事例を見ながら、今後のマンションについても考えて行きたいと思います。

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