マンション管理において、管理費・修繕積立金の値上げは、合意形成が特に難しいテーマのひとつです。長期修繕計画の見直しや近年の物価上昇を背景に、管理費・修繕積立金の値上げ議論は、全国で目にする機会が増えています。
理事会が丁寧に資料を準備し、専門家の助言を得て説明会を開きます。ところが、会場に住民が集まった瞬間から、空気はまったく違うものになります。
本稿では、説明会から総会決議、そしてその後まで、マンション現場で実際に起きていることを、できる限りリアルにお伝えします。
なぜ管理費・修繕積立金の値上げが必要になるのか
まず前提として、なぜ多くのマンションで値上げ議論が起きているのかを整理します。
分譲時設定が低すぎるケース(特に修繕積立金)
多くのマンションでは、分譲時の修繕積立金が低めに設定されているケースが少なくありません。一方で、管理費は日常管理を維持するための費用であるため、極端に低くすることは難しく、管理費は一定水準でも修繕積立金だけが低いという構造になっていることがあります。
デベロッパー(販売会社)の立場からすると、購入時に提示される月々の負担額は購入判断に大きく影響します。そのため、分譲時には修繕積立金を抑え、将来的な見直し(段階増額など)を前提として設計されている場合もあります。
しかし実際には、その前提が十分に共有されないまま購入している区分所有者も多く、値上げの議論が始まると『聞いていない』『そんな話はなかった』という声が出てくることも珍しくありません。
このような設定は、多くの場合、長期修繕計画で将来的な増額を見込んでいることが前提になっています。
長期修繕計画の見直し
マンションには「長期修繕計画」というものがあります。外壁塗装、屋上防水、エレベーターの更新、給排水管の取り替えなど、建物を長期にわたって維持するための工事を、おおむね30年先まで見通した計画です。
この計画は5年毎など定期的に見直されますが、見直しの結果、「必要な修繕積立金の総額が当初想定より増える」ケースが目立ちます。建物の経年劣化の実態が明らかになること、当初計画に含まれていなかった工事が必要になること、そして工事費自体が上昇していることが主な理由です。
物価上昇と設備更新費用
近年、建設・工事費用の高騰は著しい状況にあります。資材価格の上昇、人件費の増加、さらには職人不足による工期の長期化が重なり、10年前の計画で想定していた工事費がそのままでは到底まかなえないケースが増えています。
エレベーターの更新ひとつをとっても、数年前と比べて2割、3割高くなっているというのは珍しくありません。こうした外部環境の変化が、修繕積立金の値上げを避けられないものにしています。
値上げ説明会で実際に起きること
ここからが、この記事の中心です。値上げ説明会の現場では、何が起きているのでしょうか。
説明会の最初は静かなことが多い
意外に思われるかもしれませんが、説明会の冒頭はたいてい静かです。理事長や担当理事が資料に沿って説明を始め、長期修繕計画の現状、収支シミュレーション、値上げ額の試算と進むあいだ、会場の住民はじっと耳を傾けています。
「意外と落ち着いているな」と理事会側が思い始めたころ、質疑応答の時間になります。そこで最初の手が挙がった瞬間から、空気がゆっくりと変わっていきます。
ある質問で空気が変わる
説明会でよく聞かれるのが、次のような質問です。
「まだ壊れていないのに、なぜ今お金を積み立てなければならないのですか?」
この質問自体は、決して理不尽ではありません。マンションの修繕積立金というのは、将来の大規模修繕工事に備えて毎月少しずつ積み立てるものです。つまり「壊れる前にお金を用意しておく仕組み」です。しかし、この考え方は直感的には理解しにくいものです。
この質問が出ると、同じような疑問を持っていた他の住民も「そうだ、そうだ」と呼応し始めます。「まだ先の話では?」「本当に必要なのか?」という空気が広がっていき、一転して反対や不安の声が連鎖しやすい雰囲気になります。
説明会でよく出る反対意見
値上げ説明会で繰り返し出てくる反対意見には、いくつかの典型的なパターンがあります。実際の場の雰囲気に近い言葉でご紹介します。
「まだ10年以上先の話でしょう。今から値上げする必要があるのですか。急ぎすぎではないですか」。
これは「先送り型」の意見で、最もよく聞かれるものです。今この瞬間の負担を避けたいという心理は自然なことでもあります。
「私は年金暮らしで、毎月の収入が決まっています。これ以上の値上げは本当に厳しい。そういう事情を考えてもらえているのでしょうか」。
築3~40年以上の高経年マンションでは、高齢の区分所有者から出ることが多く、会場全体に重い空気をもたらします。誰も「それでも払ってください」とは言いにくくなります。
さらにこういった意見も。
「管理会社の言いなりになっているだけではないですか。管理会社が値上げを勧めているのは、自分たちの都合ではないですか」。
管理会社への不信感がもともとある場合、こうした形で表面化します。理事会がいくら「自分たちで検討した」と言っても、疑念はなかなか消えません。
「値上げの前に、まず無駄な支出を削減すべきではないですか。管理費の使い道を見直しましたか」。
節約を先にすべきという主張もよく出ます。これ自体は建設的な意見なのですが、タイミングによっては値上げ議論をひとまず先送りさせる効果を持ちます。
そして、予め事前アンケートを募って説明会を開催しているにも関わらず、このような意見も…。
「こんな大事なことを、今の理事会だけで決めていいのですか。もっと多くの住民の意見を聞くべきでは」。
理事会の正当性そのものを問う声も出てきます。総会で決議するとはいえ、「なぜ理事会主導でここまで進んでいるのか」という不満の裏返しでもあります。
理事会が一番つらい瞬間
説明会で見落とされがちなのが、理事会メンバー自身の苦労です。
理事会のメンバーも、同じマンションに住む区分所有者です。値上げになれば自分たちの支払いも増えます。それでも「マンション全体のために必要だ」と判断し、資料をまとめ、説明会の場に立ちます。
ところが、住民から厳しい言葉を浴びることになります。「管理会社の言いなり」「自分たちだけで勝手に決めている」「住民の気持ちがわかっていない」――。そうした言葉を受け続けながら、冷静に説明を続けなければなりません。
「自分たちもしんどいのに、なぜこんな責められ方をしなければならないのか」と感じる理事会メンバーは少なくありません。説明会が終わったあと、「もう理事はやりたくない」と漏らす理事長もいます。
この「説明する側の消耗」は、マンション管理の現場で深刻な問題になっています。担い手不足、なり手不足の背景には、こうした場での精神的な負担が確実に影響しています。
確かに、自分自身が値上げのタイミングで理事になってしまったらどうだろうと想像すると、多くの区分所有者は気が重くなるのではないでしょうか。ましてや、その説明の矢面に立つ理事長となれば、なおさらです。
「自分が理事長だったら、とても引き受けられない」
そう感じる組合員は決して少なくありません。
そもそも、多くの人にとってマンションの役員は積極的に引き受けたい役割ではありません。仕事や家庭の負担を抱えながら、時間を割いて理事会に参加し、時には住民から厳しい意見を受け止めなければならないからです。役員を「できればやりたくない」と感じるのは、むしろ自然な感覚と言えるでしょう。
▼役員のなり手不足問題にどう対処すればよいのかを解説しています。
説明会のあと総会決議で起きること
説明会はあくまで区分所有者に状況を共有し、疑問や不安を解消するための場です。最終的な意思決定は、その後に開催される総会で行われます。
説明会は意思決定の場ではない
まず押さえておきたいのは、説明会はあくまで「理解を深めるための場」であり、そこで何かが決まるわけではないということです。管理費・修繕積立金の変更は、管理規約・総会決議により進めるのが基本で、総会での意思決定が必要になります(決議要件は規約や議案内容で整理します)。
説明会でどれだけ反対の声が出ても、総会で適切な手続きを経て可決されれば、それが組合としての正式な意思決定となります。逆に、説明会が穏やかに終わっても、総会で否決されることもあります。
総会決議のパターン
総会における値上げ議案の結末には、大きく三つのパターンがあります。
一つ目は「すんなり可決」です。説明会で反対が出ても、総会では委任状や議決権行使書を含めると賛成多数になるケースは少なくありません。説明会に参加しない区分所有者が委任状・議決権行使書で意思表示することで、総会では賛成多数になることもあります。
二つ目は「激しい議論の末に可決」です。総会の場でも反対意見が続出し、会がかなり長時間に及んだ末、最終的に賛成多数で可決されるパターンです。値上げ幅の修正が条件になることもあります。
三つ目は「否決」です。これは決して珍しいことではありません。反対票が過半数を超えれば議案は否決され、値上げは見送りになります。
否決された場合
否決された場合、理事会は対応をゼロから考え直さなければなりません。よく取られる対応は、「再検討・再提案」です。値上げ幅を抑えた修正案を作成し、翌年の定時総会、あるいは状況が整った段階で臨時総会を開催して、改めて議案として提出するというものです。
ただし、理事会としては翌年の総会まで待つことになると、その分だけ修繕積立金の積立額が1年分不足することになります。そのため、できるだけ早く議論をやり直し、再度意思決定を図りたいと考えるケースも少なくありません。
そのような場合には、臨時総会を開催して再提案するという対応が取られることも、実務の現場では比較的よく見られます。
もっとも、臨時総会を開催する場合でも、説明不足のまま再提案すると再び否決される可能性があるため、理事会としては再度事前説明会の開催や組合員への根回し、資料の整理を改めて行うことが重要になります。
次に考えられるのが「段階的値上げ」です。一度に大きく引き上げるのではなく、数年かけて少しずつ引き上げていく方法で、住民の心理的な抵抗を和らげる効果があります。
もっとも、マンション行政を所管する国土交通省は、このような段階増額方式よりも、将来にわたって修繕積立金を平準化する「均等積立方式」を基本的な考え方として示しています。将来に負担を先送りするのではなく、現在の段階から将来の修繕費を見据えて計画的に積み立てていくことが望ましいという考え方です。
そして「先送り」です。否決された以上、すぐに動けません。しかし先送りには当然、リスクが伴います。
▼段階増額から均等積立に切り替えるポイントを紹介した記事はこちら
値上げできないマンションの現実
値上げを先送りにし続けると、どうなるのでしょうか。現場の実態を整理します。
修繕積立金不足
最も直接的な問題が、修繕積立金の不足です。積立額が長期修繕計画で想定された水準を下回ったまま大規模修繕の時期を迎えると、必要な資金が足りなくなります。いわば「工事を実施したいが、資金が不足している」という状況です。
この傾向は一部のマンションに限った問題ではありません。国土交通省が実施した「令和5年度マンション総合調査」においても、修繕積立金が計画に対して不足していると感じている管理組合が一定割合存在することが示されています。
以下のグラフは、同調査をもとに修繕積立金の状況を整理したものです。

※国土交通省「令和5年度マンション総合調査」より筆者作成
この調査は、長期修繕計画を作成している管理組合を対象としたものですが、それでも36.6%が修繕積立金の不足を感じているという結果になっています。さらに、実際の現場では長期修繕計画を長年見直していない管理組合や、そもそも計画自体が整備されていないケースも見られます。このような管理組合では、将来の修繕にいくら必要になるのか自体が十分に把握されていないことも多く、実際には想定以上に修繕積立金が不足している可能性もあります。
つまり、資金が足りないかどうか以前に、「どれだけ必要なのか」が見えていないマンションも少なくありません。
▼以下のコラムで修繕積立金不足にどうアプローチすればよいかを解説しています。
借入や一時金
積立金が不足した場合、主に二つの対応が取られます。一つは金融機関からの借入です。管理組合が融資を受けて工事費に充て、その後の積立金収入で返済していく方法です。ただし、返済のために返済原資をどう設計するかが核心になります。借入は一時的には有効な選択肢になり得る一方、将来的な増額や一時金など「財源の整理」は避けられません。
もう一つが「一時金」の徴収です。工事の直前に、区分所有者から数十万円から場合によっては百万円を超える一時金を集めるものです。「毎月1000円の値上げを10年かけて積み立てる」のと「今すぐ100万円を払う」のでは、住民の受け止め方はまったく異なります。一時金を求められて初めて「あのとき値上げに賛成しておけばよかった」と感じる方も少なくありません。
▼一時金徴収のシミュレーションを詳しく解説しています。
修繕延期という選択
「お金がないから工事を先延ばしにする」という判断も、残念ながら実際に行われています。しかし建物の劣化は待ってくれません。外壁のひびから雨水が浸入し、コンクリート内部の劣化が進む。エレベーターの老朽化が進み、法定検査でギリギリの状態が続く。こうした事態は、決して珍しいものではありません。
もちろん、大規模修繕工事を実施する際に、耐久性の高い塗料や材料を採用することで、次回修繕までの周期をある程度延ばすという考え方はあり得ます。しかし、本来修繕すべき時期に来ている工事を、単に資金不足を理由に先送りすることは、建物の劣化を進行させるだけでなく、マンション全体の資産価値を毀損する可能性があります。
修繕を延期すればするほど劣化は進み、最終的な工事費はさらに膨らみます。「今の痛みを避けた結果、将来の痛みが倍になる」というのが、修繕延期の本質です。
また、修繕状態の悪いマンションは資産価値の低下にも直結します。売却しようとしても買い手がつかない、あるいは大幅に値下がりするという問題も、将来的には深刻になっていきます。
修繕延期は単なる管理の問題ではなく、将来の区分所有者全体に影響する「資産管理」の問題でもあります。
マンション管理は「合意形成」である
ここまで、値上げ説明会から総会決議、そして値上げができなかった場合のリスクまでを見てきました。最後に、少し視点を広げてお伝えしたいことがあります。
マンション管理とは、建物を維持・管理することだけではありません。その本質は、「区分所有者の合意形成をマネジメントすること」にあります。
一棟のマンションには、さまざまな属性の人が住んでいます。若い子育て世帯、単身で働く会社員、長年住み続けてきた高齢者、投資目的で保有しているオーナー……。それぞれに立場があり、経済状況があり、マンションへの思い入れが違います。そうした多様な価値観を持つ人々が、「同じ建物を共有している」という事実のもとに、一つの意思決定に向かわなければならない。
値上げ説明会は、そのもっとも難しい局面の一つです。正しい情報を正確に伝えれば理解してもらえる、というほど単純ではありません。人は合理的な判断だけで動くわけではなく、不安や不信感、経済的な余裕の有無、そしてそのマンションをどれほど「自分のもの」と感じているかによって、受け止め方がまったく変わります。
だからこそ、理事会の役割は説明だけにとどまりません。住民との対話を重ね、信頼関係を少しずつ積み上げ、「この理事会が言うなら、仕方がない」ではなく「この理事会と一緒に考えよう」と感じてもらえる関係性を育てていくことが、長期的に見て最も大切なことです。
値上げの議論は、一度の説明会で完結するものではありません。数年にわたる対話の積み重ねが、最終的な合意形成につながります。そのプロセスを粘り強く続けることが、マンション管理の「本当の仕事」といえるでしょう。
あなたのマンションでも、いつか必ずこの局面が来ます。そのとき、理事会の側にいても、住民の側にいても、「お互いに同じ船に乗っている」という視点を忘れないでいただければと思います。
まずは、次回理事会で「長期修繕計画と積立残高の見通し」を一度見える化し、組合員全体で共有するところから始めてみてください。





コメント