2026年、マンション管理業界は大きな転換点を迎えています。管理組合にとっての最大関心事は、もはや「管理の質」以上に「管理委託費の高騰」と言っても過言ではありません。
「人件費の上昇」「最低賃金の改定」「物流・建築コストの波及」。管理会社から示される理由はどれも正論に見えます。しかし、理事会としてその言い分を無批判に受け入れることは、区分所有者の大切な資産を預かる立場として「善管注意義務」を果たしていると言えるでしょうか。
一方で、根拠のない反対は管理会社との関係を悪化させ、最終的には「管理会社からの契約終了(撤退)」という最悪のシナリオを招きかねません。
今、理事会に必要なのは、感情的な反発でも無条件の屈服でもなく、重要事項説明書という「公的なエビデンス」に基づいた論理的な判断です。本記事では、マンション管理士の視点から、値上げの正体を見抜き、対等な立場で交渉するための「重説活用術」を、これまでにない密度で解説します。
まずはこちらを確認: 重説の基本的な読み方については、以下の記事で「3つの防衛ライン」を解説しています。本記事の土台となる知識ですので、未読の方は目を通してみてください。
管理会社の値上げ要請はなぜ今これほど多いのか
管理会社が値上げを求める理由として挙げる「人件費上昇」や「外注費高騰」は事実です。ただし、今起きている値上げラッシュは、単なる物価上昇への対応にとどまりません。
背景には、2024年問題を起点とした業界構造の変化があり、その影響が2026年にかけて一気に表面化しています。まずは、管理会社側の置かれた状況と、業界全体で何が起きているのかを整理します。
業界を襲う「2024年問題」の余波と2026年の現実
管理会社が値上げを急ぐ背景には、単なる物価高以上の構造的要因があります。
- 労働集約型モデルの限界: 管理員や清掃員は、代替の効かない「人の手」による業務です。最低賃金が全国的に上昇し続ける中、従来の委託費ではスタッフの時給を賄えなくなっています。
- 「選別」の時代の到来: 大手管理会社を中心に、「不採算マンションからの撤退」が加速しています。利益率の低い組合に対し、適正な利益が出ないなら契約を更新しないという強い姿勢が鮮明になっています。
- 2026年の構造変化: IT化や電子契約が進む一方で、それを支えるシステム維持費やセキュリティ対策費が、新たなコストとして組合側に転嫁され始めています。
これらは一時的なコスト増ではなく、管理業務の前提そのものが変わりつつあることを示しています。その結果、管理会社は「値上げ」か「契約継続の見直し」かという、よりシビアな判断を管理組合側に突きつけるようになっています。
問題は「値上げそのもの」ではない
理事会が向き合うべき争点は、「値上げが許せるか」ではありません。「その価格改定に、合理的な根拠と透明性が伴っているか」です。
値上げを認めるにせよ断るにせよ、その判断の根拠を一般の区分所有者(組合員)に対して説明できなければ、総会での承認は得られません。そして、その説明責任を果たすための材料は、感情論や印象論ではなく、契約書面として提示される重要事項説明書に求めるべきものです。
重要事項説明書は、単なる説明義務のための書類ではありません。理事会が「なぜこの判断に至ったのか」を言語化するための、唯一の公式資料なのです。
値上げは重要事項説明書のどこに現れるのか
管理委託費の変更は、金額の欄だけを見れば済む話ではありません。管理会社は巧妙に「実質的な値上げ」を組み込んでくることがあります。
「直接値上げ」:委託費総額の増額
最も明白なケースですが、内訳の精査が必要です。
- 事務管理費: 本部の管理コスト。ここが上がっている場合、管理会社の利益率改善が目的である可能性が高いです。
- 現場労務費: 管理員や清掃員の費用。社会情勢による影響を受けやすい部分です。
このように、委託費総額が増額される場合でも、「どの費目が、なぜ、どの程度変わったのか」によって、その性質は大きく異なります。理事会としては、単に増額幅だけを見るのではなく、内訳ごとに妥当性を切り分けて評価する視点が欠かせません。
「実質値上げ」:金額据え置きでのサービスカット
「今回は金額は据え置きます」という甘い言葉には罠があります。
- 業務範囲の縮小: 従来は「基本業務」だったものが、実は「オプション(実費精算)」に書き換わっていないか。
- 勤務時間のマジック: 「週5日勤務(9:00〜17:00)」が「週5日勤務(10:00〜16:00)」に短縮されていないか。これは、時間単価で換算すると25%以上の値上げに相当します。
- 巡回・点検回数の削減: 清掃回数やエレベーターの点検回数など、「回数」の数字が一つ減るだけで、管理会社の原価は大幅に下がります。
このような変更は、重要事項説明書を一見しただけでは気づきにくく、「金額が同じだから問題ない」と誤認されがちです。しかし実態としては、サービス量の低下という形で管理組合側の負担が増しており、これは明確な「実質値上げ」として捉える必要があります。
「見えない値上げ」:再委託構造の変化
重要事項説明書の「再委託の範囲」を前回と比較してください。これまで管理会社が直接雇用していたスタッフを外部に外注(再委託)に切り替える場合、そこに管理会社の中間マージンが乗ることになります。
問題は、このマージンが「管理の高度化」ではなく、単なるコスト転嫁として組み込まれていないかという点です。再委託先の変更によって現場の担当者が頻繁に入れ替わったり、対応品質が不安定になっている場合、それは金額が変わらなくても、管理組合側が不利益を被っているサインと考えるべきでしょう。
そのため、再委託の有無だけでなく、委託先の範囲・責任の所在・品質管理の方法まで含めて確認する必要があります。
値上げかどうかを見極めるための「切り分け思考」
管理会社から提示された値上げ要請を、そのまま是認する必要も、感情的に拒絶する必要もありません。重要なのは、その金額が「どの性質のコスト増なのか」を切り分けて考えることです。
理事会は、以下の3つのカテゴリーに分類することで、値上げの妥当性を冷静に監査できます。
回避不能な「社会的コスト増」
まず切り分けるべきは、管理会社の努力だけでは吸収できない外部要因です。
- 法定点検費用の上昇
消防設備・エレベーター等の点検は法令で義務付けられており、業者側の値上げを管理会社が単独で抑えることは困難です。 - 社会保険料の料率引き上げ
従業員を雇用する以上、制度改定の影響は避けられません。 - 最低賃金改定に伴う時給アップ
特に管理員・清掃員など、労働集約型業務への影響が直接的に現れます。
これらは、組合が拒否し続けることで法令違反や人員確保不能といった、別のリスクを招きかねない領域です。まずは「回避不能な増加分」がどこまで含まれているかを見極めます。
管理会社側の「経営判断による値上げ」
次に確認すべきは、管理会社の経営方針に基づく値上げです。ここが交渉の主戦場になります。
- 人件費高騰を理由とした利益率の確保
単なるコスト増なのか、利益構造の見直しなのかを区別する必要があります。 - システム利用料・IT関連費用の新規徴収
業務効率化や品質向上に直結しているのか、それとも一律転嫁なのかを確認します。 - フロント担当者の業務過多是正に伴うコスト
「担当物件数の適正化」が、実際にサービス改善につながるのかが重要です。
この領域については、「なぜ今なのか」「なぜこの金額なのか」を具体的に問い、管理組合として納得できる説明が得られるかが判断基準となります。
管理組合側の「仕様の曖昧さ」に起因するもの
最後に見落とされがちなのが、管理組合側の運用や仕様が原因で発生しているコスト増です。
- 契約外業務の常態化
フロントや管理員に、本来の委託範囲を超える対応を日常的に求めていないか。 - 理事会運営による負荷増大
深夜まで及ぶ会議や頻繁な臨時対応が、時間外手当の発生要因になっていないか。
このゾーンは、契約内容や運用ルールを整理することで、値上げを回避、または抑制できる可能性が残されています。値上げ交渉と同時に、組合自身の姿勢を点検する視点が欠かせません。
金額だけ見てはいけない理由:業務範囲と責任分界
重要重要事項説明書(および管理委託契約書)は、単に「いくら払うか」を決めるための書類ではありません。本質的には、管理会社と管理組合の間で「誰が、どこまで、どの責任を負うのか」を線引きするための契約文書です。
そのため、値上げの議論が行われる場面では、金額の増減だけに目を奪われがちですが、同時に責任の所在や業務範囲が書き換えられていないかを必ず確認する必要があります。ここを見落とすと、委託費は上がったにもかかわらず、管理組合側の実務負担とリスクだけが増える、という事態になりかねません。
特に注意すべきポイントは、以下のとおりです。
- 免責条項の追加・拡張
「自然災害時は責任を負わない」といった一般的な免責に加え、「ITシステムの不具合」「外部委託先の過失」「第三者による不正行為」など、管理会社の関与領域にもかかわらず責任を限定する条文が追加されていないかを確認します。免責が増えるということは、トラブル発生時のリスクが組合側に移転していることを意味します。 - 管理組合の役割・義務の増加
例えば、
✅「督促業務は、内容証明郵便の送付までは管理組合が自ら行うものとする」
✅「個別対応を要する案件については、理事会が主体的に対応する」
といった文言が追加されていないかを見ます。これは、管理会社が業務から一歩引き、その分の負担を無償の理事労働に転嫁している可能性があります。 - 業務範囲の“静かな縮小”
表向きは業務内容が変わらないように見えても、「助言する」「支援する」「必要に応じて対応する」など、責任を伴わない表現に置き換えられていないかにも注意が必要です。文言が曖昧になるほど、実務上の責任は管理組合側に寄っていきます。
委託費が上がっているにもかかわらず、管理組合の理事(ボランティア)の作業量や判断責任が増えているのであれば、それは健全な契約関係とは言えません。値上げを受け入れるかどうかの判断は、金額と同時に「責任と業務のバランスが保たれているか」という視点で行うべきです。
理事会が必ず準備すべき「金額変更の質問」
説明会当日、管理会社の担当者を「納得」させ、有利な回答を引き出すための質問リストです。
具体的・論理的に聞くべき3つの質問
- 「今回の値上げのうち、現場スタッフ(管理員・清掃員)に直接還元される金額は何%か?」 (→現場への還元が低く、本部の利益になるなら交渉の余地あり)
- 「過去3年間の収支報告に基づき、このマンションの担当によって貴社が得ている利益率は適正か?」 (→無理な要求でないことを確認するため、あえて懐に入る質問です)
- 「値上げに応じた場合、フロント担当者の担当物件数は減るのか? サービスのレスポンスは具体的にどう向上するのか?」 (→対価としての「品質向上」を言質に取ります)
これらの質問の目的は、管理会社を問い詰めることではありません。値上げの理由を「数字」「業務量」「品質向上」という客観的な軸に引き戻し、理事会として判断可能な状態をつくることにあります。もちろん、企業として詳細な原価や正確な利益額を開示できない場合もあります。その場合でも、おおむねの割合や水準(例:人件費比率、利益率レンジ、コスト構成の比重)について説明ができるかは、十分に確認すべきポイントです。
こうした説明が成り立つかどうか自体が、その値上げ要請が合理的なのか、あるいは再検討の余地があるのかを見極める重要な判断材料になります。
感情論を卒業する:NG質問とOK質問
- NG: 「他のマンションはもっと安いと聞いたぞ!」 (→他は他です。マンションごとに仕様も築年数も異なります。この発言は専門家から見れば素人丸出しで、足元を見られます)
- OK: 「標準管理委託契約書と比較して、本契約の第〇条および別添の仕様書における『独自の変更点』をすべてリストアップしてください」 (→標準との差分を問うことで、管理会社が独自に有利に進めようとしている条項を炙り出します)
このように、質問の仕方ひとつで、議論は感情論にも、建設的な検討にもなります。相場感や噂話ではなく、契約書面と差分に基づいて話を進める姿勢こそが、理事会が主導権を保ち、対等な交渉を行うための前提条件です。
値上げ要請をそのまま通さないための現実的な選択肢
「値上げを拒否して解管理会社からの値上げ要請に対し、全面的に拒否することは、契約終了(撤退)という最悪の結果を招きかねません。一方で、無条件に受け入れる必要もありません。重要なのは、双方が継続可能な形で着地させる「現実的な落とし所」を用意することです。
代表的な選択肢として、次のような対応が考えられます。
- 段階的値上げ(ステップ導入):
一気に10%の増額を認めるのではなく、今期は3%、来期にさらに3%といった形で段階的に調整します。組合側の予算計画を守りつつ、管理会社にも一定の理解を示す方法です。 - 業務の「取捨選択」による総額維持:
清掃や点検の頻度を見直したり、一部業務を組合による直発注に切り替えることで、委託費単価は上げつつも、支払総額を抑えるという選択肢です。 - 付帯サービスのセット交渉:
「値上げは認めるが、その代わりに○○を実施してほしい」と条件を付けることで、単なるコスト増ではなく、将来の管理品質や資産価値向上につながる交渉に転換できます。
これらの選択肢を検討する過程で、現在の管理会社が長期的なパートナーとしてふさわしいかを見極める視点も欠かせません。その判断基準については、以下の記事が参考になります。
まとめ|値上げの是非ではなく「判断できるか」が分かれ目
マンション管理における最大の危機は、支出が増えることではありません。「なぜ支出が増えたのかを、誰も論理的に説明できない状態」こそが最大の危機です。
重要事項説明書を「一年に一度、ハンコを押すための紙」だと思っている理事会は、今後ますます管理会社の言いなりにならざるを得なくなります。しかし、この記事で紹介した視点を持って書類を読み解けば、それは管理会社と対等に渡り合い、マンションを守るための「最強の交渉材料」に変わります。
もし、自マンションの条件が今の時代に合っているのか、あるいは管理会社からの提案が本当に妥当なのか判断に迷う場合は、早めにマンション管理士などの専門家へご相談ください。
さらに深く知るための関連記事: 値上げ議論の前に、管理会社が抱える「現場の限界」を知っておくことも重要です。
また、そもそも収益構造に問題がある場合は、根本的な見直しが必要です。





コメント