2026年4月、マンション管理・再生の現場に大きな転換期が訪れます。「改正マンション管理・再生円滑化法」の施行です。
現在、日本国内のマンションは、建物の老朽化という「物の老い」と、居住者の高齢化という「人の老い」の「2つの老い」に直面しています。2044年末には、築40年を超えるマンションは現在の3.3倍、約483万戸に達すると推計されており、まさに「マンション廃墟化」の危機が目前に迫っています。
今回の法改正は、こうした危機を打開するための「処方箋」として期待されていますが、実務の最前線に立つマンション管理士の視点で見れば、手放しで喜べる内容ばかりではありません。法的なハードルが下がった一方で、建築費高騰という経済的な「高い壁」が、これまで以上に高くそびえ立っているからです。
さらに重要なのは、この法改正は「すべてのマンションに一律で適用される緩和」ではないという点です。対象となるのは、耐震性の不足や設備の著しい劣化など、安全・衛生上の問題を抱えるマンションに限定されます。この前提を誤解したまま議論を進めると、理事会・総会における意思決定を誤るリスクがあります。
本稿では、改正法のポイントを詳細に解説するとともに、区分所有者が直面する厳しい現実と、今取るべき具体的な対策について論理的に分析します。
▼ベースとなった日経記事
多数決要件の緩和:合意形成の「実務」はどう変わるのか
これまでのマンション管理における最大のネックは、「合意形成の難しさ」でした。特に建て替えに関しては、区分所有法および円滑化法に基づき、区分所有者および議決権の「5分の4以上」という極めて高い賛成が必要でした。また、建物と敷地の一括売却や、構造部分を残したリノベーションに至っては、原則として「全員同意」が必要であり、所在不明者や反対者が一人でもいれば事業がストップするという、硬直化した状態が続いていました。
2026年4月以降、この要件が以下のように緩和されます。
その① 建て替え決議の緩和(5分の4 → 4分の3)
耐震不足、外壁落下の恐れ、バリアフリー基準不適合、配管の著しい腐食など、安全・衛生上の問題を抱えるマンションについては、賛成要件が「4分の3以上」に引き下げられます。
ここで重要なのは、「すべてのマンションが4分の3で建て替え可能になるわけではない」という点です。あくまで一定の客観的要件を満たす場合に限られます。この判断には専門的な建物診断が不可欠であり、理事会レベルでの思い込みによる判断は極めて危険です。
旭化成ホームズの調査によれば、これまで建て替えが行われたマンションの平均戸数は約38戸と小規模なケースが多いのが実情です。小規模であればあるほど、1票の重みが合意形成を左右するため、この緩和は「最後の数人の説得」に悩んでいた管理組合にとって大きな後押しとなります。
その② 再生手法の多様化(全員同意 → 5分の4、または4分の3)
今回の改正で特筆すべきは、これまで「全員同意」という非現実的なハードルがあった「敷地の一括売却」や「1棟リノベーション」が、建て替えと同様の多数決で決議可能になる点です。
建物を壊して新しく建てる「建て替え」だけでなく、土地ごと売却して現金化する、あるいは構造躯体を活かして再生するといった、多様な出口戦略が法律によって公式に認められたことになります。
ただし、ここでも実務上のポイントがあります。売却や再生が進みやすいのは、空き室や賃貸住戸の比率が高く、「居住」よりも「資産処分」の意思を持つ所有者が多いマンションです。逆に、実際に居住している区分所有者が多いマンションでは、生活基盤の移転問題が大きな障害となり、意思決定は著しく難航します。
▼今回の法改正についてはこちらに概要をまとめています。
突きつけられる「1940万円」の壁:急騰する建築費の衝撃
法改正によって「決議」という法的な扉は開かれました。しかし、その先に待ち受けているのは、あまりにも厳しい「金銭的負担」です。
かつてのマンション建て替えは、いわゆる「容積率の余剰」を活かして、元々の住戸数よりも多くの部屋を作り、それを一般分譲することで工事費を賄う「自己負担ゼロ」のモデルが主流でした。しかし、現在そのモデルは崩壊しつつあります。
負担金急増の背景
国土交通省のデータによれば、建て替え時の1戸あたりの平均負担額は約1940万円に達しています。関東・関西圏ではこれを大きく上回るケースも指摘されており、今後も資材費や人件費の高騰により、この金額はさらに膨らむことが予想されます。
「資産価値」と「支払能力」のミスマッチ
横浜市立大学の斉藤広子教授の調査によれば、敷地売却によって得られる代金だけで、近隣の同程度のマンションを買い直せるケースは、わずか5.7%に過ぎません。
つまり、大多数の所有者は、建て替えを選択すれば「2000万円近いキャッシュ」を求められ、売却を選択すれば「住み慣れた地域から離れる」という選択を迫られます。特に高齢の区分所有者にとって、この負担は現実的に極めて重いものです。
「敷地売却」という選択肢が露呈させるコミュニティの限界
今回の法改正により、名称が「マンション建替円滑化法」から「再生円滑化法」へと変更されたことは、国が「建て替え一辺倒では解決できない」という現実を認めたことを意味します。
実際に、東京都渋谷区の築47年のマンション(50戸)では、敷地売却制度を活用した事例があります。このケースでは、50戸のうち30戸が賃貸や空き室であり、所有者の多くが「資産の出口」を重視していたことが意思決定を後押ししました。
しかし、このようなケースでも課題は残ります。実際に居住していた区分所有者は移転先を探す必要があり、遠方への移転や高齢者施設への入居など、生活環境は大きく変化しました。つまり、売却は制度として成立しても、「生活の再建」という別の問題が必ず発生します。
マンション管理士が提言する「第3の道」:賢い長寿命化戦略
「建て替え」は現実的に難しい、「売却」も簡単ではない。このようなマンションが大多数を占める中で、現実的な選択肢として浮かび上がるのが「長寿命化」です。
ただし、ここで注意すべきは、多くのマンションでは既に修繕積立金が不足しており、長寿命化すら簡単ではないという現実です。適切な意思決定ができないまま時間だけが経過すると、「建て替えも売却もできない管理不全マンション」に陥るリスクがあります。
そのうえで、以下の3つのステップによる対応が必要です。
ステップ1:徹底した「予防保全」による寿命の延伸
給排水管、外壁、防水などの基幹部分について、劣化が顕在化する前に計画的な修繕を実施することが重要です。「まだ大丈夫」という判断の先送りが、将来の大規模負担につながります。
ステップ2:修繕積立金の適正化と「解体費用」の意識
将来的に建て替えや売却ができない場合、最終的には「解体」という選択肢が現実になります。その費用をどう確保するのか。修繕積立金の水準を見直し、必要に応じて規約改正も検討すべき段階に来ています。
ステップ3:外部専門家の関与とシナリオ分析
建て替え・売却・長寿命化のいずれを選択すべきかは、マンションごとに異なります。重要なのは、感覚ではなく「数値」で判断することです。
具体的には、以下のような検討が必要です。
✅建物診断による再生要件該当性の確認
✅建て替え時の負担金試算
✅売却時の分配金シミュレーション
✅修繕継続時の長期資金計画
これらを踏まえたうえで、理事会として「どのシナリオを選ぶのか」を明確にする必要があります。
結びに:専門家としての冷静な視点
2026年の法改正は、マンション再生に向けた重要な転換点です。しかし、それは「解決策」ではなく「選択肢の追加」に過ぎません。
「4分の3で決議できる」という言葉だけが独り歩きすると、現実との乖離が生まれます。その裏にある「1940万円の自己負担」という事実を直視しなければ、適切な意思決定はできません。
理事会に求められるのは、「制度の理解」ではなく「経営判断」です。
自分たちのマンションが、建て替え・売却・長寿命化のどのステージにあるのか。その前提を正確に把握し、必要な準備を進めることが、将来のリスクを大きく左右します。
資産価値を守り、居住者の生活を維持するために、今こそ管理のあり方を見直すべき時です。横浜マンション管理・FP研究室は、管理組合に対して有益となる、実務に基づいた判断材料を提示し続けたいと考えています。


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