はじめに:なぜ、あなたの「正しい提案」は却下されるのか?
マンション管理組合の理事会において、あなたが勇気を出して提案した「修繕積立金の運用見直し」。 少しでも組合の財産を増やしたい、インフレから守りたいという善意からの提案だったはずです。
しかし、返ってきた反応は冷ややかなものではなかったでしょうか。
「組合の金で博打を打つ気か」 「元本割れしたら誰が責任を取るんだ」 「今のままでいいじゃないか、面倒くさい」
この言葉に押し切られ、悔しい思いをした経験がある理事長は、あなただけではありません。多くの心ある理事が、この「事なかれ主義」の分厚い壁の前で挫折しています。
ですが、ここで諦めてはいけません。 まず理解すべきは、彼ら反対派の正体は決して「悪意」ではないということです。彼らを支配しているのは、「知識不足」と「変化への恐怖」です。
人間は、知らないものを恐れます。そして、責任を負うことを極端に嫌います。 ならば、説得に必要なのは「感情」や「熱意」ではありません。 「数字(国交省データ)」という客観的な事実と、「理事としての法的責任(善管注意義務)」という逃げ場のない理屈。この2つを武器にした「ロジック」こそが、彼らを動かす唯一の鍵となります。
本記事では、商品のスペック説明ではなく、頑固な理事や腰の重い管理会社を動かすための「政治と交渉の技術」に特化して、マンション管理士兼FP1級の筆者が詳しく解説します。
反対派の心理を解き明かす「3つの壁」
議論がかみ合わないのは、相手が抱えている「恐怖の正体」を知らないからです。まずは敵を知ることから始めましょう。理事会には、大きく分けて3つの「壁」が存在します。
「元本割れ恐怖症」の壁(高齢役員)
彼らにとって、投資信託も国債も株式も、すべて「投資=ギャンブル」というカテゴリに入っているかもしれません。やむを得ない部分もありますが、「現金こそが最強」という固定観念から抜け出せていない可能性もあります。
しかし、冷静に考えると、今まさに受け取っている年金でさえ、国が運用して増やしているお金に支えられています。年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)は、厚生年金・国民年金の積立金を国内外の債券・株式などに長期分散投資し、その運用収益を将来の年金財政の安定に充てています。
もし「投資=博打」しかないのであれば、国が何十兆円もの年金積立金を市場で運用することはありません。重要なのは、中身を選び、リスクを分散させながら長期で運用することです。
つまり、受給者が毎月受け取っている年金そのものが、「ギャンブル」ではなく「長期・分散・堅実な運用」で支えられているのです。
安定した時代が長かったことから、「インフレによって現金の価値が目減りする」という感覚が希薄になりがちですが、いまの物価・工事費の上昇局面では、この発想自体をアップデートする必要があります。
「責任回避」の壁(事なかれ主義の監事・役員)
「もし銀行が破綻したら…」という万が一のリスク(ペイオフ)については過剰に心配する一方で、「何もしないことによるリスク(インフレ負け)」については過小評価します。「新しいことをやって失敗したくない」という保身の心理が働いています。
「実務負担」の壁(管理会社)
口では「慎重に検討すべきです」と尤もらしいことを言いますが、彼らには彼らの事情があります。管理会社にとっては、管理組合の資産を増やすこと以上に、自社の業務量や内部管理コストが過度に増えないことが優先されがちです。「口座開設の手続き」や「毎月の記帳業務」が増えることを、本音では避けたいと考えているかもしれません。
反対派を沈黙させる「プロの切り返しトーク」
理事会という戦場で、典型的な3つの「反対意見」に遭遇した際、どう切り返すべきか。相手の属性に合わせた、データと法知識に基づく決定的なトークスクリプトを伝授します。
「投資=ギャンブル」だと思っている高齢役員へ
【相手の反論】 「修繕積立金で博打を打つな! 元本割れしたらどうするんだ。定期預金で寝かせておくのが一番安全だ」
【決定的な切り返しトーク】
「これは博打ではありません。『国が推奨する資産防衛』です。インフレで工事費が年々上がっている今、金利ほぼ0%で放置することは、実質的に資産を捨てているのと同じことなんです」
【補強すべきエビデンス】 ここで出すべきは「感情」ではなく「公的データ」です。
- 建築費の高騰データ 国土交通省の「建設工事費デフレーター」や「令和3年度マンション大規模修繕工事に関する実態調査(工事費の戸当たり金額など)」といった公的データを見ても、ここ数年は建築補修費が数年間で2〜3割上昇しているなど、工事費が明確に右肩上がりになっていることが分かります。対して、今の普通預金金利は0.001%〜0.02%程度。『何もしない』ということは、毎年確実に購買力が下がっている(資産が目減りしている)ということです。
- 国の指針 「マンション修繕積立金ガイドライン」等の改訂では、修繕積立金の設定にあたって、実際の金利水準や運用状況も踏まえつつ定期的に見直していくことが示されています。「国も『運用益』を踏まえた計画の見直しを前提にしています。インフレ対策を検討することは、リスクを取ることではなく、理事としての標準的な対応の一つと言えます。
こう畳み掛けることで、「博打」という言葉を無効化します。
「銀行が潰れるわけない」という楽観的な監事へ
【相手の反論】 「今の時代、大手銀行が潰れるわけないでしょう。ペイオフ対策で銀行を分けるなんて事務が煩雑になるだけだ」
【決定的な切り返しトーク】
「万が一破綻した時、1000万円を超えた分は戻ってきません。その時、『面倒だからやらなかった』という理由で数千万円を失えば、我々は『善管注意義務』を尽くしていないと評価されるリスクがあります」
【補強すべきエビデンス】 ここでは「恐怖」と「責任」を刺激しますが、「訴えられますよ」と脅すと反発を招くので、あくまで「専門家の見解」として伝えます。
- 善管注意義務(民法第644条) 「理事や監事には、民法上の『善管注意義務(善良なる管理者の注意義務)』があります。ペイオフという周知のリスクがあるにもかかわらず、漫然と放置して損害を出した場合、役員としての責任を果たしていないとみなされる可能性があります」
- 逃げ道(決済用預金)の提示 相手を追い詰めるだけでなく、解決策も提示します。 「もし銀行を分けるのがどうしても手間なら、今の銀行のままでいいので『決済用預金(無利息型)』に切り替えましょう。これなら全額保護されます。利息はつきませんが、リスクをゼロにする手続きを怠ることは、監事として看過できないはずです」
「あなたの責任になりますよ」と示唆されると、楽観的な人も動かざるを得なくなります。
「業務外です」と逃げる管理会社へ
【相手の反論】 (のらりくらりと)「口座開設の手続きは理事長本人が行かないといけませんし、会計処理も複雑になりますので…慎重になった方が…」
【決定的な切り返しトーク】
「御社の実務負担が増える懸念は理解しています。口座開設の捺印等の手続きは私(理事)が動きます。積立金が増えれば、将来の管理委託費の交渉にも柔軟に対応できる原資になります。Win-Winの関係を作りませんか?」
【補強すべきエビデンス】 管理会社を動かすには「業務の線引き」と「メリットの提示」が必要です。
- 相手の痛みを言語化する 「内部監査や担当引き継ぎの手間が増えることは承知しています」と、相手の事情を理解していることを示します。
- Win-Winの構造を見せる 修繕積立金が不足すれば、管理組合の雰囲気は悪くなり、管理委託費の「値下げ圧力」も強まります。逆に、財政が健全化すれば、管理会社としても契約を継続しやすくなるはずです。 「我々の財政が豊かになることは、御社にとっても長く契約を続ける上でプラスになるはずです。協力していただけませんか?」
パートナーとして対等な立場で交渉し、協力を引き出しましょう。
総会決議を通すための「段取り(根回し)」
理事会で合意が取れたとしても、それで終わりではありません。最終的なゴールは「実際に運用を始めること」です。そのためには、総会というハードルを越えなければなりません。
理事会決議だけで進めてはいけない理由
多くのマンションの管理規約では、資金の運用方法について、標準管理規約第48条第七号と同趣旨の規定を置いているケースが多いと思われます。実務上は、その範囲内であれば「運用先の変更=理事会決議」で進められるように解釈されていることもあります。
ただし、私はあえて「総会決議(または総会での報告と承認)」を経ることを強く推奨します。
なぜなら、国債であっても「中途換金時の条件」や「手続きの手間」について、後から「聞いていない」と騒ぐ組合員が出てくる可能性があるからです。 「リスクも含めて組合員全員で決定した」という事実を作ることこそが、理事会自身を守る最大のリスクヘッジになります。
なお、総会決議と理事会決議の線引きや、標準管理規約第48条第七号の位置付けについては、別コラムで詳しく整理していますので、併せてご覧ください。


議案書の書き方テクニック
総会に諮る際、議案書のタイトルと見せ方で勝負が決まります。
× 悪い例:「第○号議案 修繕積立金で国債を購入する件」 これでは、「国債を買うか、買わないか」の二択になってしまい、「買わない(現状維持)」を選ぶ人が出てきます。
○ 良い例:「第○号議案 修繕積立金の資産価値保全に関する件」 目的は「国債を買うこと」ではなく「資産を守ること」です。このタイトルであれば、反対することは「資産を守ることに反対する」のと同じ意味になります。
さらに、議案書には必ず「比較表」を添付してください。
- A案:普通預金(金利0.001% / インフレ負け確実 / ペイオフリスク有)
- B案:定期預金(金利0.01% / インフレ負け確実 / ペイオフリスク有 / 資金拘束有)
- C案:個人向け国債(変動10年)(預金より高い金利水準 / 中途換金時も“直近2回分の利子相当額”が差し引かれるだけで額面元本は維持 / ペイオフ対象外)
このように並べると、消去法で「C案しかない」という結論に、誰が見ても至ります。 これを「消去法でこれしかないと思わせる演出」と言います。言葉で説得するのではなく、比較表という「事実」に語らせるのです。
【2026年解禁】管理組合の運用は「二刀流」が新常識
具体的な運用先として、これまでは「すまい・る債」一択と言われてきましたが、状況は変わりつつあります。 最新のトレンドを踏まえた、管理組合にとっての「最強のポートフォリオ」を提案します。
定番「マンションすまい・る債」の弱点
住宅金融支援機構が発行する「マンションすまい・る債」は、高金利かつ安全で、管理組合運用の王道です。しかし、現場では以下の「弱点」がネックになることがあります。
- 募集時期が年1回だけ:資金ができたタイミングと募集時期が合わないと、数ヶ月間資金を遊ばせてしまう。
- 先着順による早期終了リスク:申し込みが紙ベースであり、募集口数に上限があるため、人気が高い年は募集期間途中で「先着順で締め切り」になるリスクがあります(※抽選ではありません)。
- 流動性の低さ:中途換金は可能ですが、発行から1年以上経過していることや、共用部分の修繕工事に充てることなど一定の条件があり、申請から実際の入金まで1か月前後を要します。
ゲームチェンジャー「個人向け国債」の解禁(2026年度〜)
ここで注目すべきなのが、「個人向け国債(変動10年)」です。 これまでは原則として「個人」しか購入できませんでしたが、財務省の方針では、令和8(2026)年度中を目途に、個人向け国債の販売対象にマンション管理組合などの法人・団体を含めることが検討されています(具体的なスキームは今後公表予定です)。
この「個人向け国債(変動10年)」には、管理組合にとって極めて大きなメリットがあります。
- 毎月購入可能:資金ができた翌月からすぐに運用に回せる。
- 実質的な元本保証:ここが非常に重要です。中途換金する場合でも、「直近2回分の利子相当額(税引前)」が差し引かれるだけで、額面元本そのものが減額されるわけではありません。
- 変動金利:今後さらに金利が上がった場合、それに連動して受取利子も増えるため、インフレに強い構造です。
最強のポートフォリオ「二刀流」
結論として、私が推奨するのは以下の「二刀流」です。
- メイン盾:すまい・る債
- 長期的な修繕資金として、高利回りを確保するために使用(募集開始直後に申し込む)。
- サブ武器:個人向け国債(変動10年)
- 「すまい・る債」の募集時期までのつなぎ運用や、数年以内に使う可能性がある資金の運用先として使用。
この組み合わせにより、「安全性」「収益性」そして、いざという時に現金化しやすい「流動性」のすべてをカバーすることができます。
まとめ:資産を守ることは、理事長の最大の「仕事」である
「運用なんて博打だ」 そう言って何もしないことは、一見すると慎重で賢明な判断のように見えます。
しかし、これほどのインフレ局面において、虎の子の修繕積立金を「実質的な目減り」に晒し続けることは、将来の区分所有者から見れば、「なぜあの時、インフレ対策を講じなかったのか」と厳しく評価されかねません。
理事長や役員の皆さん。 資産運用は、単なる「金儲け」ではありません。マンションの10年後、20年後の未来を守るための、立派な「防衛策」です。
面倒な反対派を説得し、管理会社を動かし、総会で承認を得る。 この「合意形成」という泥臭いプロセスこそが、リーダーに求められる最大の仕事であり、その労力は必ず将来、「あの時やっておいてよかった」という形で報われます。
まずは次回の理事会で、今回ご紹介した「キラーフレーズ」と「比較表」を使ってみてください。 マンションの未来の財布を守れるのは、今のあなたしかいないのですから。





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