現代のマンションに住む私たちにとって、「集合住宅での共同生活」は決して新しいものではありません。実は、中国福建省の山あいには世界遺産に登録された巨大な集合住宅が存在します。その名も「福建土楼」です。
数百人規模の人々が一つ屋根の下で暮らすこの土楼は、一見すると要塞のような外観ですが、中はまるで小さな村のように温かな生活空間が広がっています。
本稿では、世界遺産登録される直前の2007年11月に実際に同地を訪問し、宿泊もした筆者が、福建土楼の歴史や特徴を紹介しながら、現代のマンションとの共通点についてカジュアルな視点で考えてみます。
アイキャッチ画像:Gisling / CC BY-SA 3.0 / Wikimedia Commons
福建土楼とは何か?その歴史的背景
福建土楼(ふっけんどろう)とは、主に中国南部に移住した客家(はっか)と呼ばれる人々によって建てられた大型の共同住宅です。土楼とは文字通り「土の楼閣」、つまり土と木で築かれた楼閣建築を指します。その起源は12~20世紀頃にさかのぼり、戦乱を避けた人々が山岳地帯に移り住む中で発展しました。
場所は、中国南部の海岸都市、厦門(アモイ)市から内陸に数時間入った所にあります。2007年当時は、ガイドとドライバーをチャーターして、かなり時間を掛けて行った記憶があります。道がまだまだ整備されていなかったことを覚えています。巨大福建土楼として有名な承啓楼の位置をGoogleMapで紹介しておきます。
福建土楼は、中国における明から清の時代である、15世紀から20世紀にかけて多くの土楼が建造され、2008年には代表的な46棟がユネスコ世界遺産に登録されています。
福建土楼を築いた客家人は、もともと中国北方から南方へ移住してきた漢民族の一派で、幾度もの大移動を経て福建や広東の山間部に定住しました。彼らは外部から「よそ者」と見なされることも多く、土地の先住民や盗賊との衝突に備える必要に迫られました。
こうした歴史的背景から、土楼は単なる住宅ではなく防御機能を備えた要塞として発達したのです。
要塞さながらの構造と暮らしの知恵
福建土楼の外観は厚い土壁に囲まれ、一見すると中世の城塞のようです。その壁の厚さは約1.5~1.8メートルにも達し、硬い花崗岩で縁取られた唯一の正門と、鉄板で補強された木製の扉が住人を守りました。
入口は一つしかないため防御しやすく、外壁の1階部分には基本的に窓がありません。窓は高い階に小さく設けられるだけで、侵入者がそこから侵入するのは困難でした。さらに最上階には銃眼(狭間窓)が並び、有事の際には砦(とりで)として機能する工夫が凝らされています。
しかし、威圧的にも映る外側とは裏腹に、一歩中に入ればそこは共同生活のために設計された開放的な空間です。中央には広々とした中庭があり、井戸が掘られて水を供給するとともに、祖先を祀る祠堂(しどう)や祭祀用の空間が設けられています。中庭は居住者同士が集まり交流する場であり、結婚式やお祭りなどの行事もここで執り行われました。
まさに土楼全体が一つの村のように自己完結しており、「小さな王国」あるいは「にぎやかな小都市」とも称される所以です。
各階をぐるりと囲むように配置された回廊(廊下)は、住人同士のコミュニケーションを促す設計になっています。生活の場が垣根なく連続することで、お互いの気配を感じながら助け合うことができるのです。
実際、福建土楼では一族全体が大家族のような緊密な共同生活を営んできました。建物内部の各部屋はほぼ同じ間取り・大きさに作られており、富裕層も貧しい者も区別なく暮らせたため、強い平等意識と連帯感が育まれました。
水井戸や作物を育てる庭木などは一族全員の共有財産であり、誰か特定の所有物ではなく共同で管理されました。こうした共同体の仕組みがあったからこそ、外敵の襲撃を受けても内部で団結し合い、持ちこたえることができたのです。
土楼の内部構造と生活スタイル
福建土楼の内部は機能的に分けられています。その多くは3~5階建てで、縦割りに一家族の生活空間が確保されていました。具体的には、1階が台所、2階が倉庫、3階以上を寝室兼居住スペースとし、1階から最上階まで縦に一列の部屋群が一つの世帯に割り当てられる構造です。各世帯はこの縦の一列を自分たちの「家」として使い、隣り合う世帯とは壁を共有しつつも生活空間を区切っていました。言い換えれば、一棟の土楼の中に何十もの世帯が上下に重なり合って暮らす高層アパートのような状態です。
筆者も福建土楼の承啓楼の3階の一室に宿泊させて頂きました。そこは古いホテルというか、マンションと言えばいいのか、表現が難しいですが、作りが非常に凝っている民家風といえばいいのでしょうか。当然古い建物であるため、トイレもない部屋であり、トイレは土楼の外に行くか、それともバケツで用を足すかという感じでした。

写真:Lennartbj / CC BY‑SA 4.0 / Wikimedia Commons
福建省の土楼内部。円形建築の中心に広がる中庭は、住民の交流や祭祀の場として機能した。内部の部屋は同じ大きさ・間取りで統一され、平等な暮らしが営まれていた。
一方で、興味深いことに、福建土楼には電気や水道も現代になって完備されており、現在でも生活を続けるうえで不自由がないよう改修されています。食料は自給自足が基本で、自分たちで耕した畑や近隣の市場から調達します。長い歴史の中で培われた共同体の知恵と現代的なインフラが融合し、土楼の暮らしは21世紀の今日まで脈々と受け継がれているのです。
多彩な形状:円楼と方楼
福建土楼といえばドーナツ状の円楼が有名ですが、全てが丸いわけではありません。四角い方形土楼や楕円形のもの、さらには五角形(五角楼)などバリエーションも豊かです。円形に造る利点は、防御面で死角が生まれにくいことだと専門家は指摘しています。ぐるりと連続する円形の外壁は構造的にも安定し、敵からの攻撃に対して効率よく守りを固めることができました。
一方、四角い土楼は建築材料の効率利用や内部空間の区画化に適していたとされます。実際、円形・方形いずれの形式でも、基本的な構造原理は共通しており、中央に中庭を持つ内向きのレイアウトと厚い外壁という点で一致しています。つまり形は違えど「外に閉じ、内に開く」集合住宅というコンセプトは一貫しているのです。
有名な福建土楼の例紹介
福建省内には2万棟以上もの土楼が点在するといわれ、そのうち約3,000棟が世界遺産「福建土楼」に包含されています。ここではその中から特に有名な土楼の例をいくつかご紹介します。
承啓楼(Chengqilou)

写真:Hiroki Ogawa / CC BY 3.0 / Wikimedia Commons
先ほども宿泊したという事で少し触れましたが、「土楼の王」と称される最大規模の円楼です。清代康熙年間の1709年に完成し、直径約62メートル・外周4階建ての巨大な円形建築は、外側だけで288もの部屋を擁します。内部には同心円状に合計4つの環状構造が重なり合い、中心には祖先を祀る堂が据えられています。

写真:lienyuan lee / CC BY 3.0 / Wikimedia Commons
全盛期には80以上の家族・800人近くが居住したとも言われ、その様子はまさに「一つの小都市」でした。現在でも約300人(15世代・57家族)の江(こう)姓一族が暮らしており、土楼の象徴的存在となっています。
当時、首長の江さんから朝食にお招きいただいたことを今でも鮮明に覚えています。上記写真の右側の部屋で、現地の朝食とお茶を頂きました。
振成楼(Zhenchenglou)

写真:江上清风1961 / CC BY 3.0 / Wikimedia Commons
「土楼の王子」の異名を持つ洗練された円楼です。福建省永定県洪坑村に位置し、1912年(民国元年)に林氏一族によって建造されました。外周は4階建て・計200近い部屋からなり、内側に2階建ての小楼を持つ二重構造が特徴です。
設計には中国伝統の八卦思想が取り入れられ、建物正面には巽卦、裏手には乾卦の方位に門が配されています。また祖堂の柱にギリシャ風の円柱を用いるなど中西合璧の意匠も見られ、20世紀初頭の時代を反映した優美な土楼です。
田螺坑土楼群
最初のアイキャッチ画像がこちらの田螺坑土楼群です。

写真:Gisling / CC BY-SA 3.0 / Wikimedia Commons
福建省南靖県にある5棟一組の土楼群で、その独特な配置から「四菜一湯」(4つの円楼と1つの方楼がまるで4菜1スープの定食に見立てられる)とも称されます。中央に方形の「歩雲楼」、周囲を3つの円楼と1つの楕円楼が囲む構成で、18世紀後半から20世紀中頃にかけて順次建てられました。
山腹に点在するその姿は風水思想に則って配置されたとも言われ、周囲の棚田景観と相まって非常に美しく調和しています。世界遺産の紹介写真などでもしばしば登場し、福建土楼を代表する景勝地となっています。
福建土楼と現代マンションの共通点

写真:Hiroki Ogawa / CC BY 3.0 / Wikimedia Commons
こうして福建土楼の姿を見てみると、現代のマンションとの共通点も浮かび上がってきます。時代や文化は違えど、「多くの人々が一つの建物に暮らす」という集合住宅の本質は共通しています。以下に、福建土楼とマンションの主な共通点をいくつか挙げてみましょう。
集合で暮らす安心感
福建土楼では、一族が一丸となって暮らすことで外敵から身を守り、内部の秩序を保ってきました。現代のマンションでも、オートロックや管理人の配置などでセキュリティを高め、居住者の安全を図っています。いずれも「みんなで守る我が家」という意識が根底にあります。
共有スペースの存在
土楼の中庭や回廊、井戸、祠堂は全住民が利用する共有スペース・設備でした。マンションでもエントランスホール、廊下、エレベーター、ラウンジ、集会室など居住者が共用する部分があります。どちらも共有部分を通じた交流が生活の潤滑油となっています。
均等に分割された居住区
土楼の各世帯の部屋割りがほぼ均一であったように、マンションでも各戸は間取りこそ違えど均等に区画されたスペースを占有します。土楼では身分差に関わらず同じような部屋で暮らし、互いに助け合いました。マンションでも所有者・入居者は対等な立場で管理組合を構成し、建物の維持管理に協力します。
共有財産と管理
福建土楼では建物自体や井戸・設備は一族の共同財産であり、皆で維持管理してきました。現代の分譲マンションも区分所有者全員で建物の共用部分を共有し、管理組合が修繕積立金を積み立て修繕を行うなど協力して財産を守ります。みんなの建物をみんなで守るという点で共通の精神が息づいています。
コミュニティと連帯意識
土楼では親族同士ということもあり強固なコミュニティ意識がありましたが、マンションでも自治会活動や住民同士の交流イベントを通じてコミュニティ形成が図られます。顔見知りの関係ができることで助け合いも生まれ、災害時などには連帯感が力を発揮します。
このように、福建土楼とマンションを比べてみると、集合住宅に共通する普遍的な知恵が見えてきます。とりわけ土楼の例から学べるのは、「個人の生活空間を確保しつつ、共有の場で交流し協力し合う」という住まい方です。最近ではシェアハウスなど現代版の共同生活も注目されていますが、実は福建土楼は何百年も前に先進的な集合暮らしのスタイルを確立していたと言えるでしょう。
もっとも、福建土楼の場合は居住者全員が血縁で結ばれた一族でした。一方、マンションでは他人同士が集まる場合がほとんどです。
そのため現代のマンションで土楼と同じような密接な共同体を築くのは簡単ではありません。それでも、「同じ建物に暮らす仲間」として協調し快適な住環境を守っていこうという意識は、昔も今も変わらず大切なのではないでしょうか。
おわりに:近世の集合住宅から学ぶもの
福建土楼は、近世から受け継がれる知恵と工夫によって生み出された壮大な集合住宅です。その歴史や構造を紐解くと、現代の私たちが暮らすマンションにも通じる共通点が数多く見られました。世界遺産にも認定された土楼は、単なる建築物としてだけでなく「コミュニティのあり方」の成功例としても評価されています。外敵に備えつつ大家族が仲良く暮らす姿は、現代の集合住宅で求められる防災や防犯、コミュニティ形成にも通じるものがあります。
もっとも、時代の流れとともに福建土楼にも変化が訪れています。若い世代は都市へと移り住み、土楼に残る住民は高齢者が中心となりつつあります。しかし一方で世界遺産登録以降は観光客が増え、土楼文化を守り地域を活性化させる動きも進んでいます。まさに伝統と現代の共生の中で、土楼は新たな役割を模索しているのです。
現代のマンションに暮らす私たちも、福建土楼の物語から学べることがあるでしょう。隣人との助け合いや共有部分の大切さ、防犯への協力意識など、集合住宅で豊かに暮らす知恵は今も昔も共通です。遠く離れた中国福建省の山奥から、古の先人たちが築いたコミュニティの知恵が、私たちのマンション生活にも小さなヒントを与えてくれるかもしれません。
コメント