なぜ横浜は“崖の街”なのか|地形とマンション開発の歴史【崖っぷちマンション™】

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横浜市は起伏に富んだ地形で知られ、「坂の多い町」「崖の街」とも呼ばれます。市域の7割以上が丘陵地・台地で占められ、谷戸(谷あいの谷間地形)が発達した複雑な地形です。

低い丘陵が連なり、短い河川が幾筋も流れ、海に向かって崖線(がけせん)が屏風のようにそそり立つため、自然と坂の多い街になったのです。実際、横浜市内で急傾斜地崩壊危険区域に指定されている箇所は714箇所にも上り、神奈川県全体(1,586箇所)の約45%を占めます。こうした数字からも、横浜がいかに坂や崖の多い街であるかがわかります。

今回は横浜の崖の街について、とりわけマンション開発の歴史にフォーカスを当てて紹介します。

※「崖っぷちマンション™」は、横浜マンション管理FP研究室が命名した呼称であり、当研究室のコンテンツ・シリーズ名として使用しています。

古代から高台に暮らす横浜の人々

横浜の崖の多い地形は、古代から人々の暮らしに関わってきました。縄文時代の集落跡である磯子区岡村の三殿台遺跡は標高50m以上の小高い丘に位置し、周囲にはいくつもの貝塚(=貝塚遺跡)が点在しています。明治期に「屏風ヶ浦岡村貝塚」として学会に報告されたこの遺跡からは、縄文~弥生~古墳時代にわたる約250軒もの竪穴住居跡が発見されており、人々が太古の昔から丘の上で集団生活を営んできた証しといえます。

港の見える丘公園(中区山手町)でも縄文時代の貝塚の存在が知られており、古代人もまた高台に暮らしていたことがうかがえます。また、その名残から、1884年(明治17年)には、山手居留地26ヶ町の一つとして横浜区貝殻坂の町名の由来となったとも言われています。現在は、元町公園内に貝殻坂としてその名を留めています。

※筆者撮影 貝殻坂から関内方面を望む

江戸時代末期に横浜港が開港すると、外国人居留地が丘の上に造られました。横浜では海岸線から急激に立ち上がる山手の高台一帯が外国人居留地と定められ、欧米人たちはこの「ザ・ブリッジ(山手の崖)」の上に暮らしました

一方、居留地の麓には中国人街(現在の横浜中華街)が形成され、海沿いの低地には日本人の市街地が広がりました。当時の外国人にとって、丘の上は見晴らしが良く風通しも良い快適な居住エリアだったのです。

また、磯子から金沢にかけての屏風ヶ浦沿いの高台には、伊藤博文(現在の旧伊藤博文金沢別邸)や東伏見邦英伯爵(現在のブリリアシティ横浜磯子敷地内にある貴賓館)らが別荘を構えた風光明媚な土地として知られています。このように、近代以降も横浜の丘の上には外国人邸宅や富裕層の別宅が建てられ、崖沿いの高台は憧れの住宅地となっていきました。

※現在は海沿いにある旧伊藤博文金沢別邸ですが、当時の野島は島全体が海に突き出た丘陵であったそうです。

戦後の住宅不足と丘陵地の大規模団地開発

第二次世界大戦後、横浜は人口が急増し深刻な住宅不足に直面しました。平地は工場や市街地で埋まっていたため、市の郊外に広がる丘陵地の開発が進みます。特に高度経済成長期の1960年代には、丘を切り開いて大規模な住宅団地を造成する計画が次々と実行されました。

磯子区の汐見台団地はその代表例で、1950年代末から開発が始まった県住宅供給公社によるニュータウンです。約75ヘクタールの広大な丘陵地に約16,000人の人口を収容する計画で進められ、公社初の無電柱化(電線地中化)など先進的な試みも取り入れられました。

1961年(昭和36年)に着工し、1963年に町名を「磯子団地」から「汐見台」に変更、1964年に入居開始と段階的に街開きが進みました。理想的な職住近接型の住宅都市を目指した汐見台団地は、その後の多摩ニュータウン・千里ニュータウン開発のモデルケースにもなったとされています。

こうした丘陵地の開発はさらに広がり、1970年代以降には内陸部にもニュータウンが誕生します。1969年に横浜市南区から分区された港南区と、従来からある磯子区の高台が新たな住宅地造成の舞台となりました。

根岸線が延伸して洋光台駅(1970年開業)・港南台駅(1973年開業)が生まれると、その周辺に洋光台団地港南台団地が建設されました。また、市営地下鉄ブルーライン沿線でも野庭団地(港南区、1973年入居開始)など大規模団地の造成が進み、横浜市郊外には丘の上に広がるベッドタウン群が次々と出現しました。

戦後から昭和にかけて、横浜は文字通り「崖の街」の地形を活かしながら住宅都市として発展していったのです。

崖の街に誕生したユニークな「崖っぷちマンションTM」と技術革新

横浜の丘陵地には、地形を巧みに利用したユニークなマンションも多数見られます。斜面の途中に建つマンションは「斜面マンション」、そして崖がある丘陵地帯を工夫して作られたマンションは「崖っぷちマンションTM」とも呼ばれ、通常の平地のマンションとは異なる工夫が凝らされています。

とりわけ、「崖っぷちマンション™」はその名の通り崖際に建つことで、遮るもののない眺望と迫力ある立地を楽しめるマンション群を指します。そのため、物件価値を一定に保っていることが多く、住んでいる人も愛着を持っており、中々手放さないというのが特徴的です。

例えば、保土ケ谷区の東急ドエル横浜ヒルサイドガーデンは、東海道線の車窓からも見えることで有名な斜面マンションです。1999年(平成11年)に竣工した地上階段状の大規模分譲マンションで、226戸が販売されました。丘陵地の南斜面を生かした独特の設計で各住戸に広いルーフバルコニーを備え、ヨーロッパの街並みを意識した階段状の外観デザインが特徴です。

※筆者撮影 東急ドエル横浜ヒルサイドガーデン

敷地内には斜行エレベーターも完備されており、急斜面の団地内を上下に移動できるようになっています。丘の上でも快適に暮らせるよう工夫されたこのエレベーターのおかげで、住民は坂道の負担を大幅に軽減できるのです。

対する、「崖っぷちマンションTM」としては、本牧エリアにも、崖の上に建つ有名なマンションがあります。グランドメゾン三渓園(横浜市中区本牧元町)は、三渓園近くの崖地に1986年に建てられた総戸数76戸・地上4階建ての中規模マンションで、本牧では知らない人がいないほど有名な存在です。

※筆者撮影 グランドメゾン三渓園

このマンションにも斜面に沿って昇降する斜行エレベーターが設置されており、麓の出入口から各住棟までエレベーターで登ることができます。急勾配の崖に沿ってゆっくり動く斜行エレベーターは非常に魅力的であり、住民のみならず見学者にも強い印象を与えます。

そして、中区山手町の丘の上には、昭和期に建てられたヴィンテージマンションも点在しています。たとえばブラフ100(1972年築)やカーネルスコーナー(1967年築)は、外国人墓地近くに佇むレトロな高級マンションとして有名です。これらは高台の上のあるマンションですが、とりわけ「崖っぷちマンションTM」としては、GSハイム山手(1978年築)が挙げられます。

※筆者撮影 GSハイム山手

眼前には横浜ベイブリッジを望むことができ、鶴見、川崎方面を望むこともできます。きっと晴れた日には、東京スカイツリーも望めるのではないでしょうか。

また近年のものでは、コルティーレ山手町フロントエステートという低層マンションがあります。これは山手町の丘に建つ全224邸の大規模マンションで、みなとみらい線「元町・中華街」駅とアメリカ山公園を結ぶエレベーターを利用すれば、坂を登らずに自宅までアクセスできる利便性を備えています。閑静な高台の住環境と都心アクセスの良さを両立したこのようなマンションは、横浜ならではの地形を活かした住まいと言えるでしょう。

海辺へ広がるマンション開発と横浜の現在

従来、軟弱地盤や液状化リスクのある海沿いの埋立地に高層マンションを建てることは避けられてきました。しかし近年は建築技術の革新により構造上の安全性が向上し、関内やみなとみらい21地区など臨海部の埋立地にも超高層マンションが林立するようになりました。

1980年代以降に再開発が進んだみなとみらい21地区では、21世紀に入ってから超高層タワーマンションが次々と建設されています。高さ約200mの「ランドマークタワー」(1993年完成)はオフィスビルですが、その後はヨコハマタワーザ・タワー横浜北仲(2020年完成)など、住宅を主体とする超高層タワーも誕生しました。鉄筋コンクリート造の制震・免震構造や杭基礎工法の発達によって、海岸沿いでもマンション建設が可能になったのです。その結果、現在の横浜では低地にも崖地にも数多くのマンションが建ち並ぶ光景が見られます。

※筆者撮影 ザ・タワー横浜北仲とランドマークタワー

もっとも、坂の多い横浜でも高台の住宅地は根強い人気があります。利便性よりも眺望や環境を重視する人々にとって、丘の上の暮らしには代えがたい魅力があるからです。

実際、横浜市内でも有数の高級住宅街である中区山手町エリアは最寄り駅から坂道がきつい場所にありますが、2025年時点の地価公示では川崎市中原区小杉町(武蔵小杉)に抜かれたものの、第2位であり、それまでの間は神奈川県内トップの価格を記録していました(公示価格一覧 令和7年地価公示 神奈川県政策局)。

歴史ある洋館や緑豊かな公園が点在する山手の高台は、現在でも資産価値が高く評価されているのです。

横浜が“崖の街”と呼ばれる背景には、このように地形と住宅開発の歴史が深く関わっています。

古代から人々は高台に暮らし、近代以降も外国人居留地や別荘地として丘の上が利用され、戦後は人口増に対応するため丘陵地が大規模に開発されました。さらに技術の進歩によって海辺の埋立地にまでマンション建設が広がった現在でも、丘の上の暮らしは横浜の魅力の一つとして息づいています。

坂道の多い不便さと引き換えに、複雑な地形が織りなす美しい風景や高台からの眺望は、横浜ならではの財産と言えるでしょう。まさに横浜は、地形と住まいが独特の調和を見せる「崖の街」なのです。崖の街・横浜と共に歩んできたマンション史。その象徴が「崖っぷちマンション™」です。

【記事執筆・監修】
マンション管理士・1級ファイナンシャル・プランニング技能士 古市 守
yokohama-mankan

マンション管理全般に精通し、管理規約変更、管理会社変更、管理計画認定制度の審査、修繕積立金の見直し、自治体相談員、コラムの執筆など、管理組合のアドバイザーとして幅広く活動。
また、上場企業やベンチャー企業のCFOや財務経理部長経験から、経営・財務経理分野にも精通。コンサルティング会社経営の傍ら、経営・財務経理視点を活かし、マンション管理の実践的サポートを行う。

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